「SNS疲れ」という言葉があるそうです。
Facebookやtwitterなどで、友人・知人の投稿を見て「正直、微妙」とか「どーでもいい」などと思いながらも、「いいね」などの何らかのアクションを起こさないと…と無理して疲れてしまうことなんだそう。
逆に、自分の投稿に人からのリアクションが無いと不安で、しょっちゅうSNSを覗いてしまう…というのも疲れの原因みたいです。
私も個人アカウントでこのブログとは別にFacebookは持っていますが、これまでそんな思いはしたことがありません。
そもそもそれほど頻繁にFacebookを利用してないというのもありますが、気を使って「いいね」したり「コメント」したりするようなタイプでもないので。
(本当にいいねと思ったものにはしますけどね)
では、なぜ多くの人がそれほどSNS疲れを起こしてしまうのでしょうか。
私は、「自己顕示欲のある人同士の密かなぶつかり合い」が原因ではないかと感じています。
そこで今日は、SNS疲れから解放されるために、他人と自分の自己顕示欲と上手に付き合う方法を考えてみたいと思います。
自己顕示欲とは何か
人間には誰しも、自分以外の人から「認められたい」「良く見られたい」という欲求を持っています。それが自己顕示欲です。
これは食欲や睡眠欲などと同じで、人間に本来備わっているものなんだそう。
小さな子どもが親に「ねー、みてみてー!」と言っている場面に遭遇したことないですか?
わが子もそうですが、でんぐり返しとか自分が新たにできるようになったことを、わざわざ親に見せたがりますよね。これが自己顕示欲。
子どもはそうすることで親からの「わーすごいね!そんな事できるんだね」という反応を期待しているんです。
自分の中でも自負している部分について、身近な人(親)に認めて同調してもらいたいんですよね。そうすることで、それが更なる自信につながる。
このブログをずっと読んでくださっている方はもうご存知と思いますが、私は幼少時代、この経験が非常に少ない中育ってきました。
なので、自分をアピールするという事が苦手で、なるべく自分を出さないように長い間生きてきました。
そのせいか、義理の両親からは「おひとりさんは自己顕示欲がないね」と良く言われます。
これは正直褒められてるのかどうか微妙なのですが(ひねくれた性格の私は「私ってそんな良いとこ無しに見えるのかな」と思った時もあります)、自分自身も義理両親の言う意味は良く分かります。
そして、これは自己顕示欲の塊のような人間だった母の反面教師だとも思っているのです。
自己顕示欲の塊だった母の驚愕エピソード
そんな私とは逆に、母は自己顕示欲の塊のような人でした。
私からすれば「何をそんなに自慢できることがあるのだろう」と不思議に思うくらい、何かにつけ事実を誇張して人に話していた記憶があります。
お金の話が好きだったので、母と一緒にタクシーに乗れば、運転手にわざと聞こえるように我が家の家計の話などを突然始める。
(実家、決して裕福な部類ではありません。普通のサラリーマン家庭です)
私が一番驚愕したのが、母が父との旅行で近くまで行くからと、義理両親の実家を訪れた時のこと。
私も同席していたのですが、義理両親宅で話をしていた時に、母は突然父のボーナスの金額について話し始めたのです。それには、義理両親も唖然としていました。
でも、私には母がなぜその場でそれを話したいかはうすうす勘付いていました。
義理両親は自営業を営んでおり、ボーナスなどもちろんありません。
それを知っている母は、わざとボーナスの優越感を義理両親に見せつけたかったんだと気付いた時は、私は顔から火が出そうになっていました。恥ずかしくて、すぐにでも連れて帰りたかった。
こんな母を見て育ったので、私は自己顕示どころか意思表示さえうまくできないような内向的な人間になっていたように思います。今ではそれなりに経験を積んでたくましくなってきたと思いますが。
自己顕示欲は良い風に使う事ができれば、とても有力な武器になると私は思います。
芸能人や政治家など、または企業でも良いと思うんですけど、自分の能力・魅力を上手にアピールできるのは、自己顕示欲があってこそ。
なので、自己顕示欲自体が悪いものだとは私は思っていないのですが、その使い方やTPOを誤れば、逆に人に悪い印象を与える可能性があると考えています。
SNS疲れにおいても、この点が関係している部分があるのではないでしょうか。
自己顕示欲の強い人は他人の自己顕示欲に敏感
とは言っても、基本SNSというものは個人の裁量で日常の様子や考えを投稿できるもの。
なので、SNS自体が「自己顕示欲大発表会」みたいな場所なのですが、友人・知人の楽しそうな様子を見てそれをどう思うかは個人差があると思います。
また、投稿する側がどのように発信するかでも人の受け取り方は変わってくるものです。
例えば子どもの写真付で「我が家の4歳の子が、補助輪無しで自転車乗れるようになりましたー!」という投稿があったとします。
これをみて「4歳で乗れるなんてすごい!」と思うのか、「早く補助輪外れたの自慢したいだけだよね」と思うかは人それぞれなんです。
ですが、私が実際見かけた友人の投稿は「2歳からストライダーに乗ってた息子は、10分の練習で補助輪無しの自転車に乗れました!」と言うものでした。
私がこれを読んだ時の感想は「嬉しかったんだろうなー」でした。
彼女の息子を思う気持ちがひしひしと伝わってくると同時に、これは見る人によっては相当な自慢ととられるだろうなーと心配もしました。
なぜなら、この投稿見た同年代の子ども(絶賛自転車練習中)を持つ親がいた場合、やはり嫉妬のような感情が湧くと思うからです。
ですが、SNSとは本来そういうもの。個人が思った事を呟いて何の問題も無いはずなんです。
そこに妬みの感情などを持ち込む人は、その人自身もかなり自己顕示欲が強い証拠だと思います。
子どもの年齢が近いなどの一部の共通点だけで、何かにつけ対抗心を燃やしてしまうのは、子ども自身にとっても不幸なことです。
「うちの子にはうちの子のペースがあるんだ」と理解していれば嫉妬心も起きないはず。
余所のことはそれとして「良かったね」と思えれば、SNSで疲れるということも無くなるのではないでしょうか。
人の自己顕示に嫉妬している内はSNSをしてはダメ
SNSって何のためにあるものなんでしょう。
旧友と再会できたり、同じ趣味を持つ世界中の人と交流が持てたり、そういう使い方をする上ではとても便利な機能ですよね。
自分という人間を発信することで成り立っているものですから、そこに個人の日常をさらすのは誰かにとやかく言われるものでもないと思います。
(最近ニュースでも良く見かける、公序良俗に反したものはダメですよ)
でも、一つの投稿にいろんな感情を持つ人がいること、これも仕方がないことです。
ひとそれぞれ考え方や感じ方は十人十色。
ただ、一つ思うのは、自分の現状に自信があって日々の目標があれば、人の投稿に嫉妬することもないのでは?ということです。
「なんかいつも楽しそうで羨ましい」という感情を「そんな場所があったんだ!行ってみたい」と思えるようにならない内は、SNSをすべきではないと私は思います。
自分は自分。人は人。
SNSに疲れたという人は、今の自分の生活を充実させることから始めてみてはいかがでしょうか。
福岡市在住。年の差3兄弟を育てています。
次男が知的境界域の自閉症スペクトラム(ASD)です。
発達障害のこと、子育てのこと、趣味のビュッフェ巡りや旅行について書いています。
社会福祉士です。
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