先日、長男の小学校のあいさつ運動に参加してきました。
子供たちが登校する朝の時間帯に、校門の前に立ち、児童たちに挨拶をするというあいさつ運動。
私自身、このあいさつ運動に参加するというのは初めての経験で、ちょっと楽しみでもあった反面、「暴れん坊の次男を連れて約30分ほどのあいさつ運動、やり遂げられるかな…」という不安な気持ち半々で行ってきました。
結果、児童が校門を通る度に「おはようございまーす」と言い続け、あいさつ運動終了間際には「おはようございます」という言葉の意味が突然わからなくなるという不思議な現象も感じながら当日はなんとかやり終えました。
(同じ言葉を言い続けると、言葉の意味って急にわからなくなったりしません?私だけかな。以前はカレンダーという言葉の意味がわからなくなったことがありました 笑)
そんな中、小学校のあいさつ運動にかんしては私も以前からいろいろ思うところがあったのですが、今回実際に自分が体験してみて「あいさつ運動のねらいや目的はこういうところなのかなー」と感じた部分がありました。今回はそんなあいさつ運動についてのいろいろな独り言です。
あいさつ運動に良いイメージがなかった参加前
これはもうずっと前からの話なのですが、私自身、あいさつ運動というものに良いイメージを持っていませんでした。
なんというか、挨拶の押し売り感が強い印象で。
子供の頃からそうだったのですけど、あいさつ運動が始まると、学校に行くのがちょっと億劫になるくらい、あいさつ運動にかんしては負のイメージを持ち続けていました。
以前もお話していますが、子供の頃の私は今よりさらに内向的な性格でしたので、朝っぱらから校門の前にずらっと人が並んで、一斉に大声で「おはようございます!」などと言われると、その迫力に圧倒されてしまって声を発することができませんでした。
また、内向的な性格の癖にあまのじゃくなところもあったので、あいさつ運動という名前がついているだけで「余計、挨拶したくない!」などとひねくれた考えも当時は持っていました。
なんかあの「挨拶しなきゃいけない」というあいさつ運動の雰囲気が苦手だったんですよね。
例えば中学生の頃だと、生徒会のメンバーなどがあいさつ運動として校門前に立っていたりしていましたが、特に親しくもない同級生であっても、校門前に立ちこちらに挨拶をしてきているという理由だけで挨拶をしないといけない空気が嫌だったのです。
そして、「向こうも仕事(あいさつ運動)だから挨拶してるんでしょ」というこれまたひねくれた発想を当時の私は持っていたため、極力挨拶はしているようでしていないフリ(←この辺が弱気 笑)をしながら登校していた覚えがあります。
こんな私も高校・大学と進み、社会とママ友界で数年揉まれる中で、今では挨拶は日常生活でなくてはならないものだと考えるようになりました。当然、実践もしています。
このような私の経験から考えても、あいさつ運動というのは結局どのような役に立ってきたのだろうかという疑問が沸いていたわけです。
あいさつ運動の目的とは
文部科学省のHPをみていると、このような提言がありました。
すべての青少年が意欲を高め心と体の相伴った成長を果たすため,我々はここに五つの提言を行い,それぞれに重視すべき視点と方策を示す。今後,教育関係者 だけではなく,家庭・学校・地域そして企業等のすべての大人がこれらを自らの課題として受け止め,積極的に行動することを期待する。
- 1. 家庭で青少年の自立への意欲の基盤を培おう
- 2. すべての青少年の生活に体験活動を根付かせ,体験を通じた試行錯誤や切磋琢磨(せっさたくま)を見守り支えよう
- 3. 青少年が社会との関係の中で自己実現を図れるよう,地域の大人が導こう
- 4. 青少年一人ひとりに寄り添い,その成長を支援しよう
- 5. 情報メディアの急速な普及に伴う課題に大人の責任として対応しよう
出典:文部科学省HP より
国としては、子供の生活習慣の改善やしつけなどについて、家庭だけでなく学校や地域単位で取り組んでいく方針を打ち出しています。
小学生という早い段階から、地域の大人やその生活に触れさせることで、自立心を養おうという目的があるようです。
子供たちはこれからの将来、それぞれ社会に羽ばたいていく身ですから、さまざまな集団の中でさまざまな体験をするというのは私も賛成です。
あいさつ運動もその一環のようで、そのため保護者が学校に集まり、児童に挨拶をするという取り組みが行われているのだと分かりました。
あいさつ運動に参加して気がついたこと
school bag / ランドセル / kankan
自分自身の子供時代のことがありましたので、長男の小学校のあいさつ運動に参加するとなった時も「どうせ挨拶しない子の方が多いんでしょ」くらいに私は思っていました。
ですが、実際あいさつ運動に参加してみて意外だったことは、「お子さん方、意外と挨拶を返してくれる」ということ。
中には子供時代の私タイプなのか、伏し目がちで挨拶をしてくれないお子さんもいましたが、割合で言うと7割くらいの児童はしっかりこちらの目を見て挨拶を返してくれました。
中には自ら進んで大きな声で「おはようございまーす」と言ってくる子も。
一般的に子供というのは思春期が近くなるにつれ、人と接することを恥ずかしがったりする傾向がでてくるものですが、長男の小学校では高学年・低学年問わず「挨拶をする子・しない子」は一定数いたように思います。
この様子を見ていて「挨拶への意欲は、個人の性格による部分が大きいのかな」と感じました。
挨拶ができない長男の事例
我が家の長男は現在小学2年生。人に会っても挨拶ができません。
挨拶自体をしようともしないですし、以前同じマンションのご近所の方が長男に「こんにちわ」と言ってくれたにも関わらず無視をしていた様子を見かけて、後でこっぴどく叱ったこともあります。
長男の性格は活発で好奇心旺盛なところがある反面、内弁慶なところもあります。
なので、彼の場合の挨拶をしない理由として考えられるものは、「声を出すのが恥ずかしい」「挨拶フレーズを言うこと自体が恥ずかしい」などではないかと考えています。
実際、私も子供の頃は「おはようございます」「あけましておめでとうございます」などの定型文をいうのがものすごく恥ずかしい時期がありました。
なぜか「これを言うと変に思われるのではないか」という勝手な思い込みがあったので、親戚に年始の挨拶をする時も逃げ回っていた覚えがあります。
なので、長男のようなタイプは「挨拶しなさい!」と強制したところで、余計に挨拶ができなくなる性格だろうと私は思っているので、長男に挨拶の無理強いはしないようにしています。
あいさつ運動はこのような消極的な性格の子には合わない活動ではないかと私は思っていたのですが、実際あいさつ運動をやってみて、私は3つの効果を感じました。
あいさつ運動で感じた3つの効果とは
本人の自発性(人との関わり)を引き出す効果
あいさつ運動には、私が参加した時には数人の保護者と地域のボランティアと思われる方、教頭先生がいらっしゃいました。
この地域のボランティアの方がとにかく体育会系の方でして、大きな声で一人ひとりに顔を近づけて「おはようございます!」と挨拶を投げかけておりました。
この様子を見ていて、私は「うわー、長男には苦手なタイプだろうなー」と思っていたら、長男が登校してきた時、長男は小さい声ながらもそのボランティアの方に挨拶をしていました。
ボランティアさんの威勢のいい挨拶に押されてしまった感も否めませんでしたが、挨拶の押し売りとも捉えられるこのようなやり取りも、実は案外良いものなのかもしれないと思えました。
というのも、ご近所さんへの挨拶をこれまで無視していた長男ですが、先日は私がご近所さんに挨拶をした時に、私に続いて長男も自分から挨拶をしたのです。(声は相変わらず張れてませんでしたけどね 笑)
相手に聞こえないくらいの声量ではありましたが、私は長男が自ら挨拶をしたことが嬉しく、たくさん褒めてやりました。
あいさつ運動は確かに挨拶の押し売り的な要素は感じられますが、挨拶のできない子にとってみれば、挨拶を練習する良い場所とも言えます。
挨拶のできない子は声を発する事自体が苦手な子もいるので、「挨拶をする」「挨拶を返してもらう」というやり取りの耐性をつける目的では良い面もあるのではないでしょうか。
子供の性格は十人十色ですから全ての子にこれが当てはまるとも思えませんが、長男の様子をみていても、あいさつ運動をやる意味はあるのではないかと感じました。
防犯効果
最近では防犯効果としても挨拶が重要視されていますね。
不審者というのは自分に注目されるのを嫌うので、こちらから挨拶をすることでそれが犯罪を未然に防ぐ効果があるというものです。
ですが、一方全く逆の考え方で、「知らない人には迂闊に挨拶をしない方が良い」とする防犯対策もあるようです。
現に、登下校の際は名札を裏返して、知らない人には挨拶をしないように指導している学校もあるという話を聞いたことがあります。
挨拶の防犯効果については、子供という立場から考えると、私はそれほどの抑止力は正直感じていません。
なぜなら、身体の小さい子供の場合だと、挨拶をしたとしても大人の力でねじ伏せられてしまえば事件は起こってしまうからです。
「挨拶をする時に相手の顔をみるので、不審者もそれを嫌がるはず」といいますが、顔を見られた故に単なるいたずらでは済まない事態に発展する可能性も否定できません。
私の個人的な考えとしては、防犯対策として道ですれ違う人全てに挨拶をすべきだとは思いませんが、よく見かける地域の方と挨拶を交わすことで子供の顔を覚えてもらえるという意味での防犯対策効果はあると思っています。
声を出すことで前向きになれる効果
これは私が感じた話なのですが、「おはようございます」と声を出すことで気持ちが多少前向きになれるような気がしました。
正直、あいさつ運動に行く前までは「次男もいるのにしんどい…」という気持ちも無かったといえば嘘になるのですが、いざ小学校の校門に立ち挨拶をしていると、不思議と元気になれました。
これはおそらく、私の想像ではありますが…
「今日はちょっと学校に行くのしんどいな」
「テストがあるから嫌だな」
「マラソン走りたくないな」
などネガティブな気持ちの方を多く持って登校している児童にとって、朝校門のところで(それが例え押し売りであったとしても)声を出して挨拶をするということは、子供の精神面でも良い影響を与えるのではないかと考えています。
誰か自分に声をかけてくれる人がいる(=自分に関心を持ってくれている人がいる)と分かることは、嬉しいものですよね。
あいさつ運動は続けるべきだと思う
このような事から、私はあいさつ運動というのは今後も継続して取り組んでもらいたい行事だと思えるようになりました。
ただ、一つだけ気になったことがあります。
それは、挨拶を返さない児童に対して「ほら、挨拶されたらちゃんと挨拶しないと」とボランティアの方や教頭先生が言っていたことでした。
これは先述したとおり、子供の性格の問題もありますから、挨拶の強要はすべきではないと私は思います。
他の子供が挨拶をしている様子を見せるだけでも十分ではないかと。
私自身もそうでしたが、子供って成長過程に応じてさまざまな感情を抱えながら生きていくものです。
「挨拶しないといけないのはわかっているんだけど…」という挨拶の重要性を理解しつつも出来ないというお子さんも、きっと中にはいると思います。
そのような子の場合、挨拶出来ないことを指摘されてしまうと、余計に萎縮してしまうのではないかと思うのです。
自分のタイミングで自発的に挨拶ができるようになる時が必ず来ると思います。
挨拶は自分と誰かの関係を発展させるきっかけになる大切なものです。その事に気づく日がどんな子供にもやってくると思います。
大人はその手本を自然に見せていくだけで良いと思うのです。
そのような場として、これからも朝のあいさつ運動が続いていけばいいなと感じたある日の一日でした。
福岡市在住。年の差3兄弟を育てています。
次男が知的境界域の自閉症スペクトラム(ASD)です。
発達障害のこと、子育てのこと、趣味のビュッフェ巡りや旅行について書いています。
社会福祉士です。
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