【発達障害】自閉症スペクトラムの次男の成長記録:8歳~9歳までのまとめ

我が家の次男は自閉症スペクトラム(ASD)です。

 

これまでも彼の成長記録をまとめてきましたが、今回は8歳から9歳までの記録です。

 

この一年は、特別支援学校から校区の支援学級へ転校した年でもあり、コロナも始まり、私自身の妊娠→社会福祉士国家試験→出産もあったという家族激動の年でした。

 

ただ、最後にもまとめますが、次男自身の変化としては非常にゆるやかというか、良くも悪くも大きく何かが変わった年ではなかったような気がしています。

(私自身の変化が大きくて、次男のことばかり見れていなかったという説も…)

 

8歳代はどんな変化が次男にあったのか。

 

一つの参考としてご覧ください。

 

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8歳代前半(特別支援学校2年生)

色へのこだわり

次男の当時のこだわりはでした。

 

とにかくピンク。ピンクが大好き。

 

学校に行く私服こそピンク指定ではありませんでしたが、当時の誕生日プレゼントに…

 

次男
次男

ピンクのパジャマが欲しい。

と言われ、西松屋を探し回ったあの日。。。数軒はしごしました。西松屋を。

 

この年の冬は上下ピンクのパジャマで過ごしていた次男です。

 

漢方が変更になる

これまで飲んでいた甘麦大棗湯(かんばくたいそうとう)から小建中湯(しょうけんちゅうとう)に変更になりました。

 

甘麦大棗湯の効能としては…

心身の興奮状態を鎮めて、不安定な状態を改善させるのが、この薬の主な働きです。

ツムラHPより

小建中湯の効能は…

「小建中湯」は、胃腸を意味する「中」を「建て直す」薬で、「桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)」に「膠飴(コウイ)」を加えた処方です。「桂枝加芍薬湯」よりさらに「虚証」※の人に用いられます。
処方されるのは子どもが多く、虚弱体質や夜尿症、夜泣きの改善を目的として使われます。
疲れやすい、胃腸が弱い、かぜをひきやすいといった虚弱体質の改善は、西洋医学ではなかなか対処しにくいものですが、漢方では得意とするところです。「小建中湯」は疲労倦怠感、寝汗、動悸、腹痛、冷え、頻尿などの症状があり、腹直筋が緊張しているような場合に使われます。

ツムラHPより

 

次男はもともと体質としては「虚」にあたるタイプ。

 

線が細く、過敏。疲れやすさなどもあったので、体質改善の目的で変更になったようです。

 

その後、抑肝散+小建中湯の組み合わせが9カ月ほど続いたので、小建中湯は次男には合っていたのかなと思っています。

 

12歳になった今はまた別の漢方+西洋薬を飲んで定着しましたが(それはまた11歳~12歳の成長記録で詳しく書きます)、それまでの数年は漢方薬ジプシー状態で、かなりいろいろな漢方を試してきました。

 

これはまた詳しく書きたいなー。

 

漢方は一般的に「この症状に効く」と言われている物より、いかに本人に合った物に巡り合えるかだと思っていて。

 

本人の状態を主治医と細かく確認しながら、今も調整している感じです。

 

声チックが増える

当時は「ウイッシュ」という声チックが多かった時期でした。

(そういう芸能人いたような…)

 

ただ、これも漢方が小建中湯に変わったあたりから減少傾向になりました。

 

また、同時に発語も増え、会話が少しずつスムーズにできるようになってきた時期でもあります。

宇宙ブーム再び

何度か宇宙ブームがきていた次男ですが、この8歳の時期にもまたハマっていたようです。

 

当時、次男がよく見ていた本はこちら↓

本というより図鑑のような画像多めのものですが、この頃の次男は毎日のようにこの本を見ていて、当時は太陽系の惑星のそれぞれの大きさ(直径や質量など)の細かい数値まで完璧に覚えていました。

 

12歳になった今ではそこまでの記憶は薄れてきているようですが、たまに家族で宇宙の話をしている時に…

 

私

イオ(木星の衛星)と月ってどっちが大きいんだろうね。

などと何気なくつぶやくと…

 

次男
次男

イオが少し大きい。

と光の速さで答えるくらい、まだこの頃覚えた宇宙の記憶は残っているようです。

 

他者意識・言葉での意思表示が増えてくる

これは利用している放課後等デイサービスの担当者会議で言われたことですが、次男はこの頃から他人を意識した言動が増えてきたようです。

 

基本、一人遊び・単独行動を好む男ですが、この頃から少しずつ集団での活動にも参加するようになったそう。

 

我が家は「療育系」「集団イベント系」の放課後等デイサービス2か所と契約していますが、自閉傾向強めな次男にはあえてこのようなデイを選んで通わせています。

 

ご家庭によりさまざま考え方はあるかもしれませんが、ほっとくと家族以外の他人との関りが薄くなりがちな次男にとって、学校以外でもいろいろな人と触れ合える場を次男に持たせたいと思ったのが我が家の放デイ選びの基準となっています。

 

集団イベント系の放デイは一見ただ子供達を自由に遊ばせているだけに見えますが、次男のような一人の世界に入りやすい子にはこういう場の刺激は必要だと思っていて。

 

長期休暇はいろいろな場所にお出かけしてくれたり、季節の行事にかかわるイベントをしてくれたり、親としてはこういう放デイの存在もとてもありがたいです。

 

次男の誕生日に放デイからいただいたケーキ。

 

12歳になった今でもこの2か所の放デイには通っています。

 

コロナ禍での生活の変化

8歳の頃に次男は、通っていた特別支援学校から校区の小学校の支援学級(知的)に転校しました。

 

が、ちょうど転校するタイミングで始まったコロナ騒動

 

学校も休校が増えたり、行事のあり方もこれまでのスタイルが見直されていく中、次男の生活環境も徐々に変わっていきました。

 

オンライン学習なども増え、この頃から「学習→ゲーム」などのメリハリがつくように。

 

もともと何事もルーティン化しやすい次男ですが、生活がコロナのおかげで安定した時でもありました。

 

が、ゲームをしていない時は手持無沙汰でイライラしやすくなったり、多動がひどくなったりもしたので、ゲーム禁止令をだしたりいろいろ次男自身も落ち着かなくもあった時期でした。(どっちやねん…という)

 

次男を外へ連れ出し、長男と公園を走らせたり、散歩をしたり、兄弟で料理をさせたり家でもいろいろ試行錯誤しながら過ごしていました。

 

そんなコロナ禍での転校、次男にはいろいろな変化が出始めます。

 

8歳代後半(支援学級3年生)

顔チックが出始める

新年度の初登校ですが、私は初日だけ登校に付き添いました。

 

その後は長男と一緒に登校していましたが、次男はしばらくの間は私が作った自宅⇔学校間の地図を持って登校していました。

 

不安の強い次男のような子の場合、細かな見通しというのは本人が落ち付いて行動するためにはとても役に立ちます。

 

なるべく次男の精神的負担を軽減しようと取り組んでいましたが、新しい環境に変わった当時は、次男は顔チックを発症していました。

 

目をシパシパするようなチックだった記憶があります。

 

校区の小学校は地域でも有数のマンモス校で、登下校時の下駄箱はすさまじく混雑します。

 

他の児童にぶつかったり押されたりが普通にあるので、身体接触が苦手で、いつ自分の靴が脱げるのか(履けるのか)タイミングを見図れない次男にとって、当時は下駄箱が相当なストレスだったようです。

 

登校時間をずらしても良いですよ。

と担任は言ってくれたのですが、ルールを守りたい次男はこれを拒否。

 

結局、たびたび登下校時に暴れながら、ただ12歳になった今ではそんな学校の下駄箱も平気になったようです。

 

自閉的な特性は一般的に「慣れる」ということで克服するのは難しいと考えられていると思いますが、次男を見ていると「経験を積む」ということで苦手だったことが平気になるパターンはあるように感じます。

 

チックが出ている時点で本人にとって精神的な負担が大きいのは間違いないのですが、少しずついろいろな方法を試しながら、本人のやりたいという気持ちとのバランスをみつつ、新たな事にチャレンジしていく感じとでも言いますか。

 

多くのお子さんがなんなく出来ることが、こだわりや不安の強さが原因で習得するのに人の何倍も時間がかかってしまうのが次男のような発達障害児。

 

本人の「やりたい!」という気持ちを尊重しつつ、そのタイミングを見計らっていろいろな経験を積ませるのが、次男のようなタイプには一番合っている方法なのではないかと感じています。

 

顔チックも、学校生活が安定してきたらいつの間にかなくなっていました。

(数か月はかかったかも…)

 

掛け算・割り算をマスターする

支援学校時代はほとんど学習の時間がなかったので、不足分は家庭学習で補っていました。

 

漢字も好きだし、数字も強いと担任からは言われていたので、学習に関しては支援学校時代に遅れていた分はこの支援学級3年生の時にかなり追いつくことができました。

 

ただ、本人の精神状態によって学習がはかどったり止まったりするのが次男クオリティ。

 

本人のその日の状態をみながら、担任が学習のペースをコントロールしてくれています。

 

返事をすることが増えた

話しかけても返事がないことが多かった次男。

 

自閉症スペクトラムあるあるですが、この頃から少しずつ返事をするようになってきました。

 

「おはよう」と言ったら「おはよう」と返してくれるなど、コミュニケーションレベルで言えば幼児でもできそうな内容ですが、当時は…

 

私

次男が返事した!!!

と、「クララが立った!」(←ハイジより)くらいの感動を覚えています。

 

その後、返事をするレベルはどんどん上がり…

 

私

今日の学校はどうだった?

など、あえて返答が難しい問いかけをしたりしても…

 

次男
次男

今日は落ち着いていました。

など答えることができるようになってきました。

 

毎回、決まりきったフレーズにはなりがちなのですが、こちらも会話の変化球をちょいちょい交えながら、次男の会話力アップを狙って接しています。

 

聴覚過敏とこだわりについて

この頃も聴覚過敏はあいかわらず続いていました。

 

主に貨物列車の走行音と、他人の咳・くしゃみの音です。

 

ただ、咳・くしゃみに関しては少しずつスルーできる様子もみられるようになってきました。

 

また、こだわりについては「本人のベッド周りを掃除で触ったら激怒する」など物の配置へのこだわりは継続していました。

 

が、以前の成長記録で書いていた「エレベーターへのこだわり」はこの頃からなくなってきたものの、エレベーター内での独り言が多くなっていました。

 

 

次男の場合、12歳になった今では妥協できる事も増えたり、形を変えた新たなものだったりと、なんらかの形でこだわりは続いています。

 

小学校での初めての物損

会話が徐々にスムーズになってきたことによって、次男の癇癪の原因も次第に分かりやすくなってきたのがこの頃。

 

聴覚過敏による苦手な音で癇癪を起す以外に、次男は「忘れた」という理由で癇癪を起す事が多くなりました。

 

多くなったというよりも、これまでもそのような理由で怒って大暴れしていた事はあったのでしょうが、次男がその理由を表出できるようになったからこちらも分かるようになってきただけと言うか。

 

この頃に、次男は初めて学校で物損騒動を起こしました。

 

次男
次男

ふでばこの中に消しゴムが無かった!

という理由で、校舎の窓ガラスを蹴破りました。(尾崎かよ…)

 

このことで本人にも周囲にもケガをした人がいなかったのは不幸中の幸いなのですが、その時の癇癪の理由も「(消しゴムを)忘れた」ということのみ。

 

常に同じ状態を好み、予想外のことに対応するのが難しい次男にとっては、たったこれだけの事でも癇癪につながります。

 

パニック状態が落ち付いた時に行動の振り返りをするのですが、本人はしてはダメな事は何か、頭では分かっているのです。

 

でも、癇癪中はその抑制がきかない。

 

そして、「忘れた」という理由で毎回このように癇癪を起すわけではないというのが更にやっかいなところでして。

 

次男
次男

あー、今日は消しゴムが無かった。まあいい。

と言える時もあるわけです。

 

本人の精神状態により、物事を受け入れるキャパに大きな差があるのが次男。

 

行動アプローチだけでは難しいのか、やはり(漢方以外の)投薬が必要なのか、この頃は私も思い悩んでいた時期です。

 

そして、次男が9歳になろうかとする頃に…

私は三男を出産していました。心身ともにいろいろ疲労困憊、でも喜びも一入。

 

こんな暴れん坊次男ですが、三男が我が家の一員として加わったことで、彼自身の中にもさまざまな変化がみられるようになりました。

 

それはまた9歳~10歳までの成長記録でまとめます。

 

この1年の変化まとめ

↑当時、次男が描いたヘルパーT細胞。

 

この1年の変化は一言でいうと…

 

「一進一退」

 

これに尽きます。

 

できる事も増えた。なくなったこだわりもあった。でも、新たな問題もでてきた。

 

ASDの成長って、この繰り返しなのかなーと最近感じています。

 

ただ、この年は支援学校から支援学級に転校したことで、「挨拶」や「学習と遊びのスケジュールの習慣化」などが定着しました。

 

もちろん、支援学校時代にも基本的な生活習慣などの指導はしていただいていたのでしょうが、支援学級の方が次男にとってはよりメリハリのある環境だったのかもしれません。

 

次回、9歳~10歳の成長記録では支援学級での様子がメインの内容になるかと思います。

 

不定期更新。

 

気長にお待ちくださいませ。

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