我が家の次男は現在5歳。自閉症スペクトラムと診断されています。
こだわりが強く、ちょっとしたことで癇癪を起こすのが特徴です。
現在福岡市内にある療育園の年中クラスに通っていますが、先日そこでST(言語聴覚士)による学習会があり参加してきました。
毎度のことながら、この療育園で定期的に催されている学習会というのは本当に有意義な内容のものが多いのですが、今回も非常に参考になるお話を聞くことができました。
発達障害児の多くは、他者とのコミュニケーションが上手くとれずに困り感を抱えているものです。
「言葉を発することがない」「意思を示せない」など個人により状態はさまざまですが、発達障害児にとっての目標のひとつは「自分の意思で他者とコミュニケーションがとれる」ことだと私は思っています。
ですが、そうなるまでの過程においては、大人が適切な関わりをしてあげないと、それが逆に発達障害児にとって癇癪や自主性が育たない原因となることもあるのだそうです。
そんな「実際にやってしまいがちだけど、実は間違ったコミュニケーション例」というのを2つ、言語聴覚士さんから教えてもらうことができました。
私もかなり目からウロコな話でしたし、今後の次男との関わり方を考え直す良いきっかけになりました。
今日はそんなお話です。
言葉とコミュニケーションの関係
発達障害児の言葉とコミュニケーションを育てるトレーニングについては、以前記事に書きました。
発達障害児の言葉とコミュニケーション能力を育てる方法やそのトレーニングについての講習会に参加して学んだ事まとめ。
言葉というのは…
■意思や要求を伝える
■物事を考える
■行動や気持ちをコントロールする(例:「どっこいしょ」など)
などの意味があります。
ですが、言葉の意味を分かっていたとしても、それを場面ごとに適切に使えなければコミュニケーションは成立しません。
例えば、お子さんが「ぶどう」という言葉を知っていて、言葉としても表すことができたとします。
ぶどうの絵カードを見せて「これは何?」と問いかけても、正しく「ぶどう」と回答できる。
ですが、実生活において目の前にぶどうが置かれていても、それを見て「ぶどうが食べたい」と相手に意思表示ができなければコミュニケーションは成立しないのです。
いや、仮にお子さんがどうしてもそのぶどうが食べたくて、相手に断りもなく強引に食べてしまったとします。
これも「直接行動」というコミュニケーションのひとつではあるのですが、社会生活をする上で好ましい行為とは言えません。
目に見えない事を理解するのが苦手な発達障害児にとっては、時に言葉とコミュニケーションの関係を上手く理解できない時があります。
そのため、大人は場面に応じた適切なコミュニケーションの方法というのを手本として示していく必要があるのですが、時にそれが逆効果になってしまうケースもあるのだそうです。
そんな間違ったコミュニケーションの例を2つご紹介します。
癇癪の原因になるコミュニケーション例
例えがわかりやすいように図を作ってみました。
イラストはDroplet Projectというサイトからお借りしました。絵カード作りにとても役立つサイトです。
図をご覧になってどこが間違いなのかお分かりになるでしょうか。
私は実際、このような流れで次男と関わりあっていました。
ゲーム機とルールの記事でも書きましたが、実は④のところが言語聴覚士さん曰くダメなのだそうです。
子供の癇癪を減らすには家庭でのルール作りが効果的。落ち着きが出てきた我が家の次男の実例。
子どもにとってみれば、「(子)ゲームしたい→(親)ダメと言う→(子)要求が通らずに癇癪を起こす→(親)条件付きでゲームを許可する→(子)ゲームができる」という流れの中の、結果しか重視していないのだそうです。
途中で親が条件をつけようがどうしようが、子どもにとっては「癇癪を起こした結果、良いこと(ゲームの許可)が起こった」という理解をしてしまうのだそう。
その結果、他者へ何か要求をしたい場合、子どもはまずは癇癪を起こすようになるのだそうです。
我が家の場合、ルールとして「すべきことをしてからゲームをする」という条件を事前に設けていました。
そのためゲームをしたいといって癇癪を起こす事は無いものの、一旦ゲームを始めてしまえば、日によってはなかなかゲームを決められた時間内に終えることができない時もあります。
「まだしたいの~!」と癇癪を起こして、幼稚園のバスに遅れそうになったこともありました。
これは「子どもが結果だけを重視している」証拠ですよね。
「とりあえずゲームはゲットできたから、後の約束なんてし~らない」という感じなのだと思います。
癇癪を伴う要求にはどう対応すべきか
ここで大事なのは「子どものわがままが原因の癇癪に親が負けないこと」です。
子どもが癇癪を伴う要求をしてきた場合は、親は全く取り合わないというのがベストだと思います。
子どもが好ましいコミュニケーションを学ぶためには、癇癪を起こした結果要求が通ったという経験をさせないことが必要です。
ここは親の辛抱のしどころだと思うのですが、我が家の次男も相当な癇癪持ちのため、彼が泣いて暴れるとこちらはかなり疲弊します。
ですが、ゲームに関しては「幼稚園の用意が終わった後」「朝、家を出る前まで」「1日1回だけ」などは徹底しています。
大暴れしながら幼稚園バスに乗り込んでいった日もありましたが、一度でも癇癪を伴う次男の要求を聞いてしまえばすべてが台無しになるという思いで私も踏ん張っています。
(バスに乗ってしまえば後は園の先生方にお任せできますし 笑)
ただ、本人からの要求以外の癇癪については対応を検討中なものもあります。
例えば、お風呂に入って欲しいけど本人はテレビを観ている場合などがそうです。
お風呂に入って欲しいのはこちらの都合。次男はテレビを観たいので、当然拒否・無視します。しつこく言えば癇癪を起こして暴れます。
そのため、私としては「じゃあ、テレビをここまで観たら入ろうね」などとついつい言ってしまうのですが、これも次男としては「お母さんが風呂に入れと言ったけど、僕が暴れたらお母さんがテレビを観ていいと許してくれた」と理解しているのではないかと…。
その結果、ますます次男は私の言うことを聞かなくなるのではないかと心配しています。
この癇癪が先の例と異なる点は、「本人の自発的な要求による癇癪ではない」というところです。
ただ、本人が何かしたい事をできなくなる事を予想しての癇癪ではあるので、やはり癇癪を起こした時点でその要求はきくべきではないと私は考えています。
ですが、親の都合で強引に「ダメ!今風呂に入るの!」と言うのも私は違う気がするので、癇癪が起こった時点で「どうしたかったの?」と次男に聞くようにはしています。
次男が「もっと観たいの~」と言えば、どこまで観たいのかを聞く。
対話で納得させられるよう、接し方も考えているところです。
言葉を必要としなくなるコミュニケーションの例
もうひとつの間違ったコミュニケーション例についても図を作ってみました。
これもご覧いただいてお分かりになるかと思いますが、多くの方がやってしまっている例ではないでしょうか。私もそうです。
大人が子どもの要求を上手く汲み取れなかった場合、子どもが暴れた時点で大人が「こっちが欲しかったの?それともこれ?」と先回りして提示してしまうケースです。
その結果、子どもは提示された中からお目当ての物を選ぶことができて喜ぶのですが、この⑤のところが言語聴覚士さん曰くアウトなのだそう。
先の例でもお話したように、子どもにとっては「癇癪を起こした結果、欲しい物が手に入った」という部分しか理解しないのだそうです。
そのため、「癇癪を起こせば、大人がいろいろ用意してくれる」と考え、自ら言葉を発して要求しようという思いが育っていかなくなってしまうとのことでした。
これは我が家でもかなりの頻度で次男に接していた方法で、次男が指差しで「んー」と言った場合、私が指さされた方の対象物を「これ?どれ?」と次男に提示してしまっていました。
そうすると次男は「これ!」と言って自分の欲しかった方を選ぶのですが、このやり取りで次男が発した言葉って「んー」と「これ」だけなんですよね。
本当は物の名前など一通り理解しているということは、発達検査などで証明済みの次男。
親の私には皆まで言わなくても思いは通じるとふんでいるのでしょう。
それゆえ、物の名前を思い出して言葉を発するという手間をかけるよりかは、「んー」だけで通じるお母さんにはラクなやり取りをついつい選んでしまっているのかもしれません。
このコミュニケーションのやり方では子どもの自主性は育ちにくいと言語聴覚士さんは仰っていました。
子どもの自主性を育むためにはどう対応すべきか
このようなやり取りを好むお子さんの場合は、まずは言葉を引き出すよう親が誘導してあげないといけないそうです。
次男のように言葉を知っているにも関わらず使おうとしない子の場合は、「んー」だけで親は先回りして動いてはならないそう。
「何が欲しいの?」「言って」などと言葉で言わせるようにすべきなのです。
ただ、まだ発語がない子が指差しなどで要求をしてきた場合は、言葉で返答することができません。
そのような場合は、対象物の中から子ども自身に選ばせるようにすれば良いとのことでした。
親が「どっち?こっち?」と目の前で提示して選ばせるよりかは、子どもを指差し方向まで連れて行って、子ども自身に選ばせる方が自主性は育まれるそうです。
先回りのし過ぎは良くないな…と思ったお話でした。
子どもにどう学ばせるか
言語聴覚士さん曰く「子どもは常に学習している」のだそうです。
それも「結果から有効な手段をみつける」という視点から学習しているとのこと。
これはつまり「自分にとってどの要求の仕方が最もラクで効果的か」という基準でコミュニケーションも学習しているということになります。
子どもにとっては、苦手な言葉で一から親に説明して要求するよりも、手っ取り早く癇癪を起こしたり指差ししたりして要求が通る方がラクなのです。
人間誰しも辛く苦しいことよりラクなことの方が好きですよね。
子どもも同じで、それゆえ好ましいコミュニケーションの方法を学ばせるためには、そのような方法で要求が通ったという成功体験を多く積ませるのが大切とのことでした。
逆を言えば、好ましくないコミュニケーションの方法では要求は通らないという経験をさせることにもなります。
「言葉ってこんなに便利なんだ」「泣いたり暴れたり疲れることしなくても要求は通るんだ」という経験を積み重ねることで、子どもは言葉の必要性に気づいていきます。
特性のある発達障害児の場合はこの部分を理解するまでに時間がかかるものですし、子どもの特性によって関わり方も異なってくる部分ではありますが…。
そこは親がある程度見極めて接し方を考えたり、時には専門家に相談するのも良いのかもしれません。
それでも、次男にも言葉でやり取りできる楽しさをいつかは分かってもらいたいという思いで、私も日々少しずつ言葉を育むコミュニケーション作りに取り組んでいきたいと思っています。
福岡市在住。年の差3兄弟を育てています。
次男が知的境界域の自閉症スペクトラム(ASD)です。
発達障害のこと、子育てのこと、趣味のビュッフェ巡りや旅行について書いています。
社会福祉士です。
コメント