【ネタバレ注意】毒親育ちが毒親漫画「ゆがみちゃん」を読んでみた感想。

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「毒親育ちはこうもいろいろと似ているものなのか…」

 

最近「ゆがみちゃん」という毒親育ちの方が描かれた漫画があることを知りました。

arrow47_004「ゆがみちゃん」本編①追憶編

 

私自身も毒親育ちのため「ゆがみちゃん」を大変興味深く拝見したところ、共通点が多すぎて軽く腰が抜けました。

 

本当にもう「こんな細かいところまで?!」というくらい同様のエピソードがありすぎて、改めて毒親について考えさせられた次第です。

 

過去記事にも書いていますが、私の実家の場合は主に母と祖母が毒持ちなのですが、母はすでに他界。現在くらっている毒は祖母からのみです。

arrow47_004「毒親育ちが毒親になる」と気づかせてくれた毒祖母とのお正月エピソード

arrow47_004【2016お盆】毒祖母が実家にいるのにそれでも私が毎年帰省する理由。

 

ですが、「ゆがみちゃん」を読んでいて、祖父からも相当の毒を受けていた事を思い出しました。(詳細は後述します)

 

「ゆがみちゃん」にも書かれていましたが、毒親育ちの子は育った環境の影響で辛い記憶を封印してしまいがちになるんですよね。

 

更に、我が家の場合はそんな祖父には現在ほぼ寝たきり+痴呆症状が出ており、そのような弱りきった様子を見るたびに、過去の威勢の良かった祖父の姿は私の中で次第になかった事になっていったようにも思います。

 

そんな私の実家と共通点満載の「ゆがみちゃん」を読んでみての感想や、我が家の場合はどうだったのかということを書いてみようと思います。

※若干ネタバレ的な内容を含みますのでご了承願います。

 

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何のためにそんなことをするのか

その前に、なぜ毒親育ちが毒親漫画を読んだ感想などを書こうと思ったのかについて少々説明させてください。

 

理由は2つ。

 

1.毒親育ちの方の心の癒しになりたい

 

1つは毒親育ちの方の心の癒しになれば…という思いからです。

 

というのも、これは毒親育ちの方であれば理解いただける心情かもしれませんが、よその毒親家庭の様子を知ることで、毒親育ちの人は救われた気分になるところがあります。

 

「私だけじゃなかったんだ。こんな辛い思いしてきたの」という感じです。

 

そもそも家庭というのは閉鎖的な環境です。

 

よそのご家庭の事情など、なかなか知る方法はありません。

 

そのため毒親育ちは「我が家だけどうしてこんな家族なのだろう」とひとり思い悩みがちになり、そこへ毒親からの「あんたが悪い!」などという責任転嫁が日常的に続けば、毒親育ちの子は「家族じゃなくて自分がおかしいんだ」と信じて(いわば洗脳です)苦しみ続けます。

 

ですが、同じような境遇の方のエピソードを知って「私もおんなじだった!」と思えることで、親の理不尽な毒から次第に開放されていきます。

 

私の毒が抜け出したのは、最終的には母の他界ということからでしたが、母との関わりがなくなり、少しずつ自分の頭で考え行動するようになった結果、それまでの母の行動は異常だったと思えるようになりました。

 

そう気づく過程においても、いろいろな方の毒親エピソードをネットなどで読みあさり「私と一緒じゃん…」と感じる事ができたことも解毒に大きく影響していると思います。

 

長年積み重ねられてきた毒親からの心の呪縛はそう簡単にはとけないかもしれませんが、そのひとつのきっかけとして心が軽くなる場を提供できれば…という思いで自身の体験を綴っています。

 

2.過去を吐き出すことで自分自身の解毒になる

2つ目の理由は、過去を文章にして書き出すことで自分自身の解毒にもなるためです。

 

「ゆがみちゃん」の作者である原わたさんも書かれていましたが、「ゆがみちゃん」を描くにあたって、ご自身の過去を洗いざらい書き出してみたのだそうです。

 

そうすると、自分では「そんなに大したことされたわけではない」と思っていた過去が、いざ書き出してみると相当な事態だったそうです。

 

心の中に溜めたままの記憶というのは、時間の経過と共にどんどんフィルターが増えていくイメージだと私は考えています。

 

曖昧で優しくなっていくんですよね。

 

人間辛い記憶ほど忘れやすいように脳ができていると聞いたことがありますが、毒親との記憶もまさにそうだと思うんです。

 

辛い・苦しい・悲しい…などのネガティブな記憶から薄れていくんですよね。

 

ですが、これを紙やパソコンなどに書き出そうとすることで、当時の記憶が鮮明に蘇ってきます。

 

そうやって書き出した内容を自分で改めて読むことで「私、あの時すごく嫌な気持ちだったんだ」「本当は悲しかったんだ」などと、当時自分があえて目を向けないようにしていた気持ちと向かい合うことができるのです。

 

これは本当に苦しい作業ですし、私も書いていて涙が出ることもあります。

 

ですが、そうやって過去の苦しかった記憶とひとつずつ向き合っていくことで、どんな形であれそんな過去の自分の気持ちと折り合いをつけられるようになるんですよね。

 

とことん親を恨んでも良いし、また自分自身も家族や子供を持って初めて「あの時のお母さんはもしかしたらこういう思いであんな事言っていたのかな」と考えられるようになった部分もあります。

 

こうやって少しずつ気持ちに整理がついてくると、毒はちょっとずつ抜けていく感じがします。

 

 




 

 

「ゆがみちゃん」の共感ポイント

前置きが長くなりましたが、こういった理由で毒親漫画「ゆがみちゃん」を読んでの感想を実体験を交えながらお話しようかと思います。

 

読んでいて本当に共感できる部分が多かった漫画だったのですが、そのポイントを整理してみます。

 

1.家庭環境が激似

「ゆがみちゃん」第1話に「祖母も母も怒りを抑えられない性格」とありましたが、我が家も全くそのとおりでした。

 

祖母は自分中心でとにかくせっかち。

 

自分の気分次第で他人を動かそうとする人なので、その毒はいまだに帰省する度に猛烈に感じています。

 

母は過干渉で自分が常に優位でいたいタイプの人間でした。

 

娘である私にライバル心を抱いていたような面もあり、とにかく母からは褒められた記憶がとんとありません。

 

二人そろって自己都合で怒り散らす沸点の低いタイプでしたが、我が家の場合ここに祖父も実は加わっていました。

 

祖父は昔気質のと言えば聞こえはいいかもしれませんが、とにかく身勝手な人でした。

 

自分の気分次第でとにかく家族を怒鳴り散らしていました。

 

夕食時にテレビをみていても、自分がみたい番組の時は家族が喋っていたら「やかましい!黙れ!聞こえん!」と怒鳴る。

 

私たちがみたい番組の時は、テレビの音が聞こえないくらい大声で話しまくり、それを私たちが「テレビが聞こえん」と指摘すると「こんなしょーもないテレビ観らんでいい!」と有無を言わさずテレビを消すような人でした。

 

機嫌が悪いと、私や妹が子供部屋でワイワイ遊んでいるだけで、廊下をドシドシ踏み荒らしながら部屋に「やかましい!くらわせるぞ!(←殴るの意味です)」と怒鳴り込んできていました。

 

と思いきや、私や妹が風呂に入っていると、入っているのを知っていながら「入っとうか~?」とのぞきにきたり。

 

粗暴で下品で、私は当時から祖父が大嫌いでした。

 

今では弱ってすっかり見る影もなくなっていますが、そんなやりたい放題やってきた祖父が、現在「病院・施設には入りたくない」と言って父や祖母に世話になっている様子をみていると、「最後までわがまま三昧で過ごせた良い人生だったんだろうな」と遠い目で見てしまいます。

 

「ゆがみちゃん」の毒田家では父がこのようなタイプだったようですが、毒家族には複数の毒親がいる場合も多々あるようです。

 

2.きょうだい格差

毒田家では兄妹格差があったと描かれていましたが、私の場合は姉妹格差でした。

 

妹はいわゆる理数系といわれるタイプで、そのため小さい頃から家族からも「頭が良い子だ」と優遇されていた面がありました。

※なぜか我が家の場合は理数が得意というだけで「頭が良い」という認識でした。

 

一方、私はいわゆる文系で、算数・理科などがてんで苦手なタイプ。

 

そのため、家族からは「この子は大したタマじゃない」という暗黙のレッテルを貼られていて、以前も書いたように文系科目で100点をとって帰ってきても、褒められるどころか「算数か理科で100点とらんと意味がない」などと逆に罵られていました。

 

結果、常になにかと優遇されていた妹は上手に親の顔色を伺って行動できる人間に成長し、私はいつもオチのような扱いをされる役割となっていました。

 

妹はもともと癇癪持ちなところがあったので、母でさえそんな妹の扱いに苦慮していた部分があり、妹が暴れると母のフラストレーションの矛先はいつも私に向かっていました。

 

「お姉ちゃんらしくせんか」

 

私が姉らしくないから妹が暴れるという図式が出来上がっていたようで、姉妹喧嘩ではいつも私が悪者でした。

 

そんな母の心理を見抜いていたのか、妹は私の腹を蹴ったり噛み付いたりとやりたい放題だったにもかかわらず、母は「(妹に)そうさせるあんたが悪い」と私を非難していました。

 

この辺の姉妹関係は、毒田家の兄妹関係と似ている部分です。

 

ゆがみちゃんの兄も母から優遇され、上手に親の顔色を伺っていたようですし。

 

そして、そんなきょうだいが成長した末路も似ている気がします。

 

私の妹の場合は、家の居心地が良かったからか社会人になってからも母が死ぬまで実家に住み続けていました。

 

外で働いているいい大人が、実家の母親から掃除・洗濯・食事全てをやってもらい、寝床の準備までしていてもらっていた我が妹。

 

休日には親の車を乗り回し、減らしたガソリンさえ補給しないような気がきかない人間になっていました。

 

そんな妹も母が亡くなって1ヶ月もしたら実家を出て一人暮らしを始め、今では家族・親戚誰とも音信不通です。

 

自分にとっては一緒にいるメリットがない、むしろ自分の生活にお荷物になる人たちとの暮らしには早々に見切りをつけるこの妹の潔さ。

 

お母さん、今あの世からどういう思いでこの様子を見て、自分の子育てを振り返っているんだろう…と私は思う日々です。

 

3.母に友人が少ない

「ゆがみちゃん」の毒田家の母に友人が少ないというところも、我が家の母に共通するところです。

 

毒田家の母もゆがみちゃんの友人から「お前の母ちゃんおもしろいな~」などとはやし立てられていたのが子ども心に辛かったようですが、私も子ども時代は同じような思いをしていました。

 

自信過剰でKY(空気読めない)な母と一緒にいると本当に恥ずかしかったんですよね。

 

詳しくは私の過去記事を見ていただきたいのですが、「今ここでこの話いる?」というような場面が本当に多かったのです。

 

SNS疲れの記事でもチラっと書いたタクシーでの話などがそうですが、そんな母は故意か天然かわかりませんが、私の友人関係の前でも私の恥ずかしいエピソードなどを話して笑いをとるところがあったので、そういうのも嫌な部分でした。

arrow47_004SNS疲れが気になる方必見!他人の自己顕示欲と上手に付き合う方法とは?

 

自分が常に上の立場でいたいという思いが強い人だったので、母自身の友人関係でもそれが明確に出ていました。

 

友人を褒める話を聞いたことがないし、仲の良い唯一の友人であっても「…でもあの人はまだ独身だしねー」などと、最終的には当人をこき下ろす発言が目立っていました。

 

そういうところが友達の少なさに現れていたのかなと感じています。

 

4.祖母のご近所詮索が好きなところ

ゆがみちゃんの祖母も相当な毒持ちだったようですが、ご近所の様子を詮索しているところも私の祖母とそっくりです。

 

毒田家も田舎だったようですが、この詮索好きなところは田舎特有な部分もあるのかもしれません。

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田舎って本当に監視社会ですからね。

 

防犯面では最強かもしれませんが、プライバシー面では最悪です。

 

誰が何をしていたかなんて、そこらじゅうで住民が目を光らせて頼まれてもいないのに見守っているものです。

 

私の祖母もいまでもそうですが、台所の窓から外を眺めながら「どこの誰々(屋号なので私にはよく分からない)がどっか行きよるが…」などと、ひとりブツブツ言っています。

 

町内の誰が何をしようとどうでも良いような気がしますが、話題の少ない田舎暮らしはきっと暇なのでしょう。私はそう思って祖母の話を右から左に聞いています。

 

 




 

 

「ゆがみちゃん」総括

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こうやって書き出してみると、毒親家庭というのは大きな部分で共通していることがあるように感じます。

 

■親が毒
■その毒親がひとりではない
■きょうだい間差別がある
■粗暴で下品
■田舎暮らし

 

田舎暮らしというのは意外なポイントかもと今回気がつきました。

 

田舎という閉鎖的な環境は、毒家族の無限ループが蔓延る原因のひとつではないかと。

 

今でこそネットなどの普及によって横のつながりが広がっている農業の世界ですが、私の祖父の代などの農家といえば、その土地に生まれ、一生そこから出る事もなくひたすら農業をして暮らしていくイメージでした。

 

村の中の限られた人達とだけ交流を持ち、それゆえ入ってくる情報も限られてしまう。

 

似たような価値観を持ったもの同士でしか関われない環境は、自らの家族の毒に気づけないのではないかと感じたのです。

 

そんな毒に育てられた子供も毒親となり、親の価値観を受け継いで子育てをしていく。

 

毒田家はこれに該当するかはわかりませんが、少なくとも我が家の祖父母と母には似たような関係性があったように感じます。

 

なので、私が一番恐れているのはこの毒親の連鎖です。

 

我が家の子ども達にとって、私自身が毒親になってしまわないだろうか…。

 

その恐怖は日々つきまとっているのですが、こうやって過去を振り返ることも、自分の毒親化のストッパーになってくれるのではないかと考えています。

 

「母のようにはなりたくない」

「自分が子どもの頃に感じたような思いはさせたくない」

 

どう子どもに接すれば毒親にならないのか、何が正解なのかなんていまだに分かりませんが、自分が感じてきた辛い気持ちに正直に向き合っていくことが今の私の家族にとっても大事なことなのではないかと思う日々です。

 

 

 

 

 

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