自閉症スペクトラムの次男。就学前までに消えた6つのこだわりと考えられるその理由。

自閉症スペクトラムの次男は、来年度の就学をひかえています。

 

こだわり・多動・かんしゃく…など、なにかと特性が強いので、就学先についても支援学校にするか支援学級にするか悩んでいるという記事は何度か書いてきました。

 

 

が、いろいろ考えているうちに、そういえば次男の特性としてもっとも特徴的だった「こだわり」については…

 

私

そういえば無くなってるの結構あるな…

 

と思い当たるものがいくつかでてきました。

 

こだわりは、それが現在進行形の場合はその大変さから「もう一生続くんじゃないだろうか…」と絶望しがちになるものですが、知らず知らず姿を消しているものも結構あります

 

そう、発達障害児のこだわりというのはずっとは続きません。

 

ただ、我が子のこだわりで苦労されている保護者の方は多いかと思いますので、ひとつの希望として、ちょっと心が救われる事例として、我が家の次男の「就学前までに消えたこだわり6つ」をまとめてみようと思います。

 

子どもの成長には個人差がありますので、すべての方に次男の例が当てはまるとは言えませんが、私の経験上、こだわりというのは「無くなる」「軽減する」など何らかの変化をしていくものだと考えています。

 

「今の大変さは一生続くわけではない」

 

こだわりで悩んでいらっしゃる方が、私のこの記事で少しでも前向きになっていただけたら幸いです。

 

 

1.道順・ルートへのこだわり

次男の場合、決まったルーティーンを好むというこだわりがありました。

 

道順やルートもそのひとつで、幼稚園の登園前は決まったルートを決まった手順をふみながらでしか歩くことができず苦労していた記憶があります。

 

■通り道にある駐車場の車のナンバー確認(何のひらがなの車があるか)
■横断歩道を渡る前にどこのお店の前で待つか
■自販機は売り切れになっているか
■季節商品(つめた~い・あったか~い)に変化はないか…など

 

やたら確認事項が多く、幼稚園の登園で私自身がひどく消耗していた時期がありました。

 

「今ダッシュすれば横断歩道渡れるのに~!」という状況でも、次男は必ず横断歩道を渡る前にとあるお店の前で待つというこだわりがあったので、時間に余裕が無いような時は、すでに園バスが到着していて待っていた…なんてことも。

 

が、このような道順やルートへのこだわりが今ではほぼ消えています。

 

精神状態が不安定な時は、「こっちがいい!」などとこだわりを見せる時もあるのですが、朝の登園も私からの提案を受け入れられるようになってきました。

 

「今日は時間がないからこっちの道から行った方が早いよ」など(どんだけギリギリに登園してるんだって話は置いといて)、その時の状況により臨機応変に行動できるようになっています。

 

これも、言葉で理解できることが増えた結果ではないかと思っています。

 

 

2.順番へのこだわり

これも上記1に近い内容ではありますが、日常生活のちょっとした順番に次男はこだわるところがありました。

 

■エレベーターのボタンを押すのは自分
■エレベーターに1番に乗るのは自分
■家を最初に出る(入る)のは自分…など

 

このように、なにかにつけ「オレが!オレが!」な次男でしたので、その順番がうっかり狂ってしまった場合にパニックになり大変でした。

 

また、いつもそのような流れで物事が進むものでもないので(商業施設のエレベーターなどだと、必ずしも次男がボタンを押せるとは限らない)、このこだわりによる避けられない事態というのに対応するのも本当に骨が折れていました。

 

一番にエレベーターに乗れるまで、何本もエレベーターを見送ったり。

 

ですが、この順番へのこだわりも今ではほぼ消えています。

 

幼稚園の集団保育の時間などでは「ぼく、1番がいい~!」などと言っていることはあるようですが、それが思い通りにいかなかったからといって癇癪を起こすことは減っている模様です。

 

エレベーターも、いつの間にか人が押したものに後から乗り込むことができるようになっていましたし、家の出入りの順番については現在まったく何も言わなくなりました。

 

これも、言葉で理解できることが増えたという理由のほかに、経験から「待つ」「見通し」というものを学んだ結果ではないかと感じています。

 

 

3.スイッチ・ボタンへのこだわり

エレベーターでもそうでしたが、スイッチやボタンなどをとにかく押したがるというこだわりも以前はありました。

 

家の中だと、照明のスイッチや扇風機などの家電関係のボタン。

 

外出先でも同じく照明のスイッチを探し出してON・OFFを繰り返していたので、このこだわりが全盛期の頃は本当にお出かけが大変でした(当時の記録はこちら↓)

 

 

ボタン系のおもちゃなら代用できるかと思いきや、本人の本物志向が強すぎて(笑)、押したがるスイッチやボタンはすべて実生活で使っているようなものばかりでした。

 

「触ったらダメ!」と言うと癇癪を起こして余計にスイッチやボタンに固執している様子が感じられたので、当時はほとほとこのこだわりに困っていました。

 

が、5歳の現在ではこれらのこだわりもほぼ無くなっています。

 

考えられる理由としては、やはり言葉での理解が進んだということと、それ以前に取り組んでいたカードでの指示理解、あとは飽きたということだと思います。

 

最近でも珍しいスイッチ・ボタンを見つけると衝動的に触ってしまう様子はみられるのですが、私が…

 

私

ボタンは触りません!

 

と言うと…

 

次男
次男

押したらどうなっちゃうと~?

 

と聞き返してくるようになりました。

 

「ここで電気を消してしまうと、みんながびっくりして困ってしまうよ」などとボタンを押した結果予想されることを話してやると、納得できるようにもなりました。

 

また、このように言葉で理解するのが難しかった時期には、「ダメカード」というものを使っていたこともあります(詳細はこちらの記事↓をどうぞ)

 

 

このこだわりは衝動性の高さと、「押したらどうなるんだろう」という興味関心の高さの2つが原因だと思われます。

 

あとは、飽きるほどスイッチ・ボタンをやり尽くしてしまうと、それらへのこだわりも消えていくのかなぁと個人的には感じています。

 

 

4.洋服へのこだわり

3~4歳代の強いこだわりのひとつとして、洋服が決まったものしか着れないというのがありました。

 

もっともこだわっていた時期は、上下の洋服それぞれが2枚ほどしか着れるものが無かったため、洗濯物が乾きにくい時期だったりすると、まだ濡れているベランダの洋服を持ってきて着せろ!などと大暴れしていました。

 

そのため、衣替えなどの時期も大変で、暑い時期にひとり長袖を着て登園したりとかなり我が道を突き進んでいた次男。

 

肌着などもヨレヨレでも小さくてもそれしか着ないので、傍から見ると「お母さん、子どもの事もっとちゃんとしてやりなよ」と思われていたかと思います。

 

ですが、そんな次男も今では洋服に対してのこだわりはほぼ無くなりました。

 

私が選んで持っていってもすんなり着れますし、時には次男自ら…

 

次男
次男

今日は暑いと?寒いと?

 

と着る服の相談をしてくることもあります。

 

この洋服へのこだわりは急に無くなったので私としても不思議に思っているのですが、ひとつ思い当たるとしたら「強制しなかった」というところかもしれません。

 

次男がそうしたいのなら、同じ服をローテーションしようが何を着たがろうが口を出さず。

 

ただ、洗濯中などどうしても着るのが難しい場合だけ、その理由を話して今ある洋服の中から本人に着たいものを選ばせるようにはしていました。

 

新しい肌着を買ってきても、本人には買ってきたことは伝えずに、そっと衣類ケースの中に置いていたりしていました。

 

すると、しばらく放置されていた新しい肌着も、次男が自ら…

 

次男
次男

これ新しいと?

 

と持って来て着るように。

 

それ以来、長男のお下がりの服などもいろいろと着れるようになり、今に至っています。

 

もしかしたら、衣替えを一緒にするのも良いかもしれません。

 

「大きくなりたい」「はやく小学生になりたい」と思っている次男だったので、「体が大きくなったから洋服も大きくなるよ」という旨を洋服のサイズ(110や120)などで伝えていたのも、数字好きの次男の向上心をくすぐったのかもしれません。

 

洋服のこだわりが強くて苦労されている保護者の方は結構いらっしゃるかと思いますが…

 

■無理強いしない
■興味が広げられるように働きかける

 

というふうに、焦らずかかわっていくのがよいかと思います。

 

次男の場合は、おそらく視覚優位からの洋服へのこだわりがあったとみていますが、お子さんによっては感覚過敏による洋服へのこだわりがある場合もありますので、そこは保護者が慎重に見極めないといけないと思っています。

 

 

5.予定変更へのこだわり

物事の規則性を好む次男ですので、日常生活の流れにもこだわりを持っていました。

 

平日は療育園、土日は休みという流れはできていても、園で遠足や運動会などイベントが入ってくると崩れるパターンがありました。

 

いろいろな物事に対しての過敏さゆえに、ちょっとした不安を募らせやすい次男にとって、いつもとは違う日常の流れが突然入ってくることはかなり苦痛なのだと思います。

 

ですが、このような予定変更に対しても、今では比較的すんなり受け入れられるようになりました。

 

療育園では、先生方が毎月予定表を作ってくださり、イベントの前は念入りに予行しているようなので、そのような関わりが良い結果をもたらしてくれているのかなと感じています。

 

今でも、見通しの立ちにくい事に対してはイライラしやすいという特性はあるため、「予定表」「視覚化」「言葉」であらかじめ情報を入れてやるようにしています。

 

ただ、日常の流れというのにこだわりが強い子の場合、ちょっとした予定の狂いも癇癪の原因になるものです。

 

例えば、いつも確認する自販機が一部売り切れ表示になっていた場合など。

 

例えが特殊すぎてアレかもですが、こういう予想できない事態に対しても次男のような子の場合は癇癪スイッチが発動するわけです。

 

見通しというのは何もかもすべてにおいて常に立てておけるものではないので、こういうこだわりについてはやはり「言葉で理解できる」という面の成長が大きくかかわっていると感じています。

 

「自動販売機というのはいろんな人が飲み物を買うところ」
「なくなった飲み物は売り切れになる」
「また飲み物を入れれば(補充)売り切れ表示はなくなる」

 

など、私も次男には自販機について散々語ってきましたが、そのおかげなのか今では自販機へのこだわりもなくなりました。

 

物事のいろいろなパターンを知ることでこだわりは薄くなると感じているので、時間はかかりますが、やはり何事も「経験させる」ということは大事だと思っています。

 

 

6.完璧へのこだわり

次男は、「食べこぼす」「服が水で濡れる」「おもちゃが壊れる」など思わぬ事態で癇癪を起こすことが多くありました。

 

これは完璧へのこだわりと私はみているのですが、この点にかんしても今では落ちついてきています。

 

次男の中で「食べようと思っていたのにこぼしてしまった」という思い通りにならなかったイライラと、衣服・テーブルなどが汚れてしまったことによる不快感の相乗効果で大暴れしていたように感じています。

 

これも、いつもちゃんとできないといけないという次男の几帳面さもあったのだろうと思いますが、今では良い意味で適当に受け流せるようになっています。

 

食べこぼしたらサッと拭く、服が濡れたら「濡れちゃった」「拭きたい」「着替えたい」などと濡れた程度によって意思表示できる、おもちゃが壊れたら遊ぶのをやめる(笑)など、怒らずに対処できることが増えてきたように思います。

 

これも同じ経験を何度かしてきたというのがこだわりが消えた理由ではないかと感じていますが、もうひとつ私が実践していたのは「親が失敗してみせる」というものです。

 

「あ~間違った!」などと言いながら、わざと落としてみたり濡れてみたりして、その後のリカバリーのやり方を実践してみせるのです。

 

「こぼしたけど拭けばいいや」「濡れたけど渇くから大丈夫」などと言いながら、その後普通に過ごします。

 

親のそんな様子を見ていると、子どもも「失敗しても大丈夫なんだ」と思ってもらえるのではないかと思い、私はおっちょこちょいを演じていました(素が8割ほどでしたが…)

 

「失敗は怖いことではない」というメッセージを伝えることは、不安になりやすい次男のような子には特に必要だと思っています。

 

 

私が考えるこだわり消失の理由

こうやって書き出してみると「これだけこだわりが無くなったら、ずいぶんラクになったんじゃない?」と思われそうですが、まだまだ次男は手ごわいです(笑)

 

自閉症スペクトラムに限らないことかもしれませんが、ひとつ何かのこだわりが消えたらまた新たに何か特性が出てくるのが次男のような子達です。

 

今は聴覚過敏が進行中なので、そちらの対応にかなり苦労しています。

 

ですが、次男と過ごしてきたこの5年の経験から、こだわりはそのままずっと続くものではないと思っています。

 

形を変えて残っていくものもあるけれど、無くなってしまう・軽減するものも多いです。

 

それはやはり、子供自身の成長とその子に合った周囲のかかわりが大きく影響していると考えています。

 

次男のように、言葉で物事を理解できるようになったというのは大きな成長ですし、視覚優位な次男が理解しやすいかかわりを増やしたのも効果が高かったと思います。

 

そして、何より「経験値が増えた」というのがこだわりが無くなった一番の理由ではないかと思うのです。

 

こだわりの強い発達障害児の場合、その特性からどうしても視野が狭くなりがちで、それゆえ強いこだわりも出てきてしまうのですが、物事にはいろんな側面があることを経験上学ばせてあげるのがつくづく大事だと実感しています。

 

その過程は平坦ではないですが(癇癪やパニックも時にはあります)、でもその結果「予想外の結果になったけど大丈夫だった」という良い経験が蓄積されていけば、物事への興味関心の幅が広がり、意欲がでたり不安の解消につながっていくと思うのです。

 

そのためには、安心して失敗できる環境を作ってやるのが親の務めかなとも思っています。

 

 

我が子の強いこだわりで苦労されているみなさん。

 

今の状況はずっとは続きません。

 

できることをやりながら、時には時間が解決してくれると思いながら、大事なお子さんを見守っていただければと思います。

 

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