「あぁ~!やっぱり我が家はいいなー」
これは私たち夫婦が実家に帰省した時に発言したものではありません。
実家への帰省から我が家のマンションに戻ってきた時に思わずでた一言です。
毎年、お正月の帰省は私の実家のみに2泊3日で帰省するのですが、それを終えた時は毎度のことながらものすごい疲労感に襲われます。
それはひとえに私の祖母が原因です。
私の母は数年前に他界しているので、実家には私の父と祖父母が3人で暮らしています。
母についてはその毒っぷりについて過去に記事を書いていますが、実は祖母がこれまた母を上回る猛毒でして(笑)
もともと短気な私の主人が、私の身内という理由だけで祖母の言動に我慢を重ねてきていたのですが、今回ついに主人も堪忍袋の緒が切れる事件があり、もう二度と私の実家には泊まらないと言い出しました。
どんな出来事があったのか、毒親自身も毒親に育てられた結果ではないのか、毒祖母エピソードとその対処法についてまとめてみました。
超支配型の毒祖母
私の母の場合は、過保護・過干渉型の毒親でした。
祖母にもその傾向はみられ、ただラジコンで遊んでいるだけの我が家の長男にも、コントローラーの突起部分が「目を突くから危ない」という理由で有無を言わさず取り上げるなどの行為が度々目撃されていました。
ただ、祖母の場合は過保護・過干渉以上に他人への支配欲が強く、自分の周囲の人間の行動をすべて自己都合でコントロールしたがるのです。
例えば、私たちが帰省すると、風呂に入る時間・食事の時間・寝る時間…などすべて祖母に決められます。
「女は男より先に入浴してはならない」という昔からの考えが祖母にはあるので、まず先に私の主人と子ども達が4時くらいに強制的に風呂に入らされます。
(一応、よそ様である私の夫から風呂に入れたいという祖母の考え)
その後、祖父→父→祖母→私という順なのですが、祖父が風呂から上がるまでに食事の準備を整えておかないといけないので、その間私は食事作り。
祖母までが食事前に風呂に入るので、私は食後のんびり入れるかと思いきや、食事が終わるとすぐに風呂に入れと言われ、入ったら入ったで…
まだ上がらないか。いつまで入ってる!!
と入浴中に数回は風呂場まで確認にこられます。
このあたりが私的にストレスMAXなところだったのですが、毎度の事なので祖母に反抗しながらもやり過ごしておりました。
が、この度の帰省ではこれを上回る出来事があり、これで主人がキレてしまいました。
今回は年末年始だしということで、子供達を寝かしつけ、父や祖父母が寝静まった後に主人と2人で音楽番組を静かに見ながら居間で晩酌をしていました。
祖父母の部屋は居間の隣なのですが、父は居間で寝る習慣があるため、照明も薄暗くつけて飲んでいたところ、祖母が突然起きてきて乱入。
早よ寝らんか。いつまで起きとるか!!!
と、照明とテレビを強引に消して去って行きました。
私と主人は真っ暗闇の中しばし呆然。
その騒ぎで起きた父は祖母を怒っていましたが、耳の遠い祖母、都合の悪いことは聞こえず(笑)
その翌日、私が親戚の集まり用の買い出しにでかけていた時に、主人は祖母から昨晩の夜更かしの件でそうとう文句を言われたそうです。
なんで早く寝ないのか
遅くまで起きて、一体何をしているのか
などなど…。
これには主人もかなり頭にきたらしく、「自分がそこまで言われる筋合いはない」ということで、もう私の実家には二度と泊まらないと決めたそう。
祖母は終始こんな感じで、常に周りを支配・把握したがります。
そこにあるのは自分の感情だけ。周りの意思などは祖母にとっては関係のないことなのです。
毒祖母の周囲の人々の精神的ストレスは計り知れない
私の父は養子です。
それゆえ、母が生きている頃はこんな祖母に母が反抗し、叱っていました。母にとっては実母なので文句も言いやすかったのでしょう。
ところが母がいなくなった現在、父はもともと気性の優しい性格なので、祖母を母ほど強く怒るということがありません。(養子という立場がそうさせている部分もあるのかもしれませんが)
なので、母が亡くなってから祖母の暴挙は年々ひどくなっているように感じています。
一番大変なのは、同居している父です。
寝たきりではないのですが、一日の大半をベッドの上で過ごし、下の世話も必要になってきている祖父の面倒を祖母とみながら、祖母からはあれやこれやと指示をされ奴隷のように扱われている父。
ここには過酷な老老介護の現状もあります。
地元から一歩も外に出ることはなく、小さな村社会でaround90まで暮らしてきた祖父母。
彼らにとって大切なのは、村の中での自分たちの評価であり、自分たちの見栄だけのために老人ホームへの入居も拒否して父に面倒を見させているのです。
傍目には「私たちを大事にしてくれる婿養子」を自慢したい。そのために父の生活を支配している現状。
私はそんな父が祖父母より先に倒れてしまうのではないかと心配しているのですが、父の性格的にそんな祖父母を蔑ろにできないという現実もあります。
実は、私の母も過労死ではないかと周囲からは言われています。
どこに行くにも何をするにも、幾つになっても祖母のチェックが入る毎日に、母は相当なストレスを抱えていたはずです。
母の場合はそれが実の親なので、ある程度言い返したり喧嘩したりもできていたのですが、父の場合は…。
毒を撒き散らす人は周囲に計り知れないストレスを与えています。
それに気づかない当人と気づいていても逃げられない周りの関係というのはとても危険です。
戦争の後遺症という見方もあるようだが…
(写真の村とは無関係です)
祖父母が生きてきた時代と現在の家族観には大きな違いがあります。
戦前・戦後の時代というのは、男尊女卑が当たり前。子は労働力という考えが多数派だったように感じます。
それは祖父母が育ってきたような、田舎の隔離された小さな村社会では特に顕著であったようです。
「女は我慢」で育てられ、「親の言うことは絶対」という環境。
伯母達に話を聞くと、一様に「自分たちに将来の決定権など無かった」と口を揃えて今でも言っています。
そういう時代で育った人たち(祖父母)と個人を尊重するという環境で育った私たちの生活スタイルがそもそも噛み合う訳がないんです。
「風呂なんて誰が先に入ってもいいじゃん!むしろ、若い人が先に入った方が、その後のお湯がやわらかくなって老人には体に良いんだってよ?」などと私が話したところで通じる相手ではないんです。
中には先進的なaround90の方もいらっしゃるかもしれませんが、人は年をとるごとに経験で物を考え、考え自体が固執していくように思います。
毒親に育てられると、その期間が長ければ長いほど人生の経験値が毒親絡みのものになっていきます。
私の母が祖母ほど強烈な毒を放っていなかったにしても、育てられた本人が毒親になる可能性は高いのではないかと私は感じています。
反面教師になれれば良いのですが、ふとした瞬間に「今の、お母さんにそっくりだったな」と思う言動って私にもあります。
毒親連鎖を断ち切るためにはどうすべきなのでしょうか。
なるべく距離を置くことを心がける
私たちが実家を訪れるのは、盆正月と田植え・稲刈りの時期の年4回程度。
この4回は泊まりで行くのですが、主人が言うように泊まりさえしなければ、祖母から受けるストレスはだいぶ軽減されます。
祖母の場合は、こちらに押しかけてまで何かを言ってくるということはないので。年も年ですし。
幸い現在、実家は高速使えば1時間くらいで行ける距離なので、十分日帰りも可能な距離。
毒親・毒祖母とは、やはりなるべく距離を置くのが一番の策だと思います。
ただ、そうなるとかわいそうなのが私の父。
ストレスフルな祖父母と生活し、楽しみといえば私の息子である孫に会うことくらい。
実家泊を無くしてしまうことは、イコール父と孫達との時間も奪ってしまうことになります。
ここが非常に悩みどころ。
父を私たちの家に泊まりにこさせても良いのですが、祖母の支配は厳しく、父が親しい人のところにお泊りで飲もうと誘われても「帰ってこい」と言われてしまう状態だそうです。
毒親問題で一番厄介なのが、父のように距離をとりたくてもとれない環境にある人たちですよね。
こんな訳で、新居を買って1年になる私たちですが、父は一度も私たちの家に来たことはありません。
今年はなるべく父を外に連れ出せるよう、いろいろ考えてみたいと思います。
そして、私が息子たちにとって毒親にならないためにも、夫婦二人で互いの言動を注意しあえるような関係を常々築いておきたいと主人とは話し合っています。
福岡市在住。年の差3兄弟を育てています。
次男が知的境界域の自閉症スペクトラム(ASD)です。
発達障害のこと、子育てのこと、趣味のビュッフェ巡りや旅行について書いています。
社会福祉士です。
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