相模原市の障害者施設「やまゆり園」で起きた信じがたい事件。ご存知の方も多いと思います。
26日午前2時半すぎ、相模原市緑区の障害者施設に刃物を持った男が侵入して入所者などが刺され、警察によりますと、これまでに15人の死亡が確認され、およそ20人がけがをしているということです。
警察は、出頭してきた26歳の男を殺人未遂などの疑いで逮捕しました。
男は施設の元職員だと話していて捜査関係者によりますと、調べに対し「障害者がいなくなればいいと思った」という趣旨の供述をしているということで、警察は事件の動機などを調べています。出典:NHK NEWSWEB より
事件の凄惨さということももちろんなのですが、それ以上に私がショックを受けたのは、犯人が逮捕後に述べた「障害者なんていなくなればいいと思った」という言葉。
我が家にも自閉症スペクトラム児の次男(4歳)がいますが、「我が家の次男も周囲からこのように思われているのかもしれない」と思うと、心苦しくてたまりませんでした。
この事件にかんしては、各方面の専門家が連日メディアなどで「薬物依存が原因」「人格障害」などさまざま分析されておりますが、私はちょっと違った方面にこの事件の原因の一端があるように感じています。
それは、障害者や彼らを取り巻く環境(障害者施設など)がどのようなもので、どういった実態であるのかが一般にあまり周知されていないことにあるのではないかと思うのです。
今回の事件の犯人も、事件後にこんな障害者への恨み節とも取れる発言をしているところをみると、障害者に関わる仕事をする上で想定外の現実に直面した事が犯行動機の一因になっているようにも感じます。
私自身、次男に発達障害があると分かって初めて障害者支援や彼らの生活環境について理解できるようになってきました。
これも次男との療育への通所を通して、徐々に、少しずつ…という感じです。
私はこの痛ましい事件を通じて、障害者施設や福祉施設での就職を希望している人には是非知っておいてもらいたい現状と、働く上での心構えについて思うことを綴ってみます。
相模原市「やまゆり園」での犯人像を分析してみた
相模原市障害者施設での事件を起こした犯人は、もともと大学生時代から教員を目指していたようですね。
いろいろ経歴を調べてみましたが、小学校での教育実習なども経験し、障害者支援にも関心があったような記事もありました。
ですが、なぜそのように教育分野に関心のあった人物がこのような事件を起こしてしまったのか。
大学在学時の途中から素行の悪さが目立つようになったという情報もあり、このような大事件を起こしてしまった背景には、犯人にもともと備わっていた特異な性分などを持ち合わせていたであろうことも否定はできません。
が、私はそれ以上に、犯人が安易な気持ちで障害者福祉の分野に飛び込んでしまった事が犯行の一つの引き金になってしまったのではないかと思っています。
犯人は大学卒業後も職を転々としていたようですが、その中のある職業については「賃金が安すぎる」という理由で辞めているものもあるようです。
そんな犯人が、「もともと就職願望があった福祉の分野」で「求人も多く、採用されやすい」という理由から、障害者施設の実態を理解せぬまま就労してしまったことも悪い結果に働いてしまったのではないかと考えています。
医療・福祉業界の現状
医療・福祉業界は離職率の高い産業分野です。
厚生労働省の雇用同行調査結果の産業別の離職率の統計データによると、医療・福祉は全16大産業中4番目に離職率の高い分野となっています。
参考平成26年雇用動向調査結果の概況(厚生労働省)
こう見ると、医療・福祉業界の離職率は突出して高いという印象は受けないものの、離職理由のトップに「職場の人間関係に問題があったため」「事業所の理念や運営のあり方に不満があったため」といった内容が約半数を占めているのは見逃せない部分だと思います。
参考 平成26年度 介護労働実態調査結果(公益財団法人 介護労働安定センター)
これらの離職理由は一見どの業界でもありがちな内容かもしれませんが、医療・福祉業界にかんしては「実際に働いてみて初めて分かった」という、外部の人間からは計り知れない辛い就労環境というのが他業種と比較した場合、その色合いが濃いのではないかと考えています。
というのも、私自身、次男を療育園に通わせる中で、療育園のスタッフの働きぶりを見ていてずっと感じるものがあったからです。
療育園の職員を見ていて感じていた事
次男が通っている療育園は1クラスに10~12人程度の児童がいます。
そこに、3~4人の担任がつき、1人の職員が2~4人の児童をローテーションでみているような状態です。
過去記事でも書きましたが、肢体不自由児のクラスが1クラス、その他は主に発達障害を抱えた児童が在籍しているのですが、一口に発達障害と言ってもその児童により抱える特徴は本当にさまざまです。
全く言葉を発することができない子。
少しの間でも椅子に座るのが難しい子。
何かを常に口に入れていないと落ち着かない子。
本当にいろいろな子供がおり、職員はその子供の特性を一人ひとり全て理解をした上で接しなければなりません。
ただ特徴を覚えるだけなら、他業種でも覚える事の多さというのは同じかもしれませんが、このような施設で働くということは人と人との関わりがその日常の大部分を占めます。
サラリーマンの営業職とはまた違った、意思疎通を図るのが難しい相手との関わりなので、職員の方は精神的にもかなり疲労されるのではないかと思うのです。
というのも、次男の療育園は特に連絡などせずとも、日々の園での生活を保護者が見学することができるのですが、ある日様子を見に行った時はちょうど給食の時間で、先生が配膳をして子供達が食べだそうとしている時でした。
その中である児童が目の前に置かれた給食を突然手で払い除けて床に落としてしまったのです。
その子は重度の発達障害のお子さんですが、給食の時間も1人の職員が付きっきりで食事をとらせている状態です。
職員は何事もなかったかのように落とされた給食を下げ、また新たに配膳していましたが、相手が障害のある子供だとは分かっていても、これが毎日続くとなると、職員の精神的な負担はかなりのものだと思います。
仕事とは言えども、自分はおにぎり片手にして食べながら子供の世話をしている職員の様子を見ていると、こういった施設の職員の仕事は心身共に大変な仕事だと感じました。
自分の気持ちを上手く表現できない子に腕を噛まれている職員を見かけたこともありますが、それでも取り乱す事無く子供の相手をする様子を見ていて「並大抵の精神では務まらない仕事だ」と思ったと同時に、これが子供でなく大人相手の介護だとしたら…と考えてしまいました。
障害者福祉施設や介護施設の就労環境はさらに過酷
最近、老人介護の職場で働く人にお話を聞く機会があったのですが、それはそれは過酷な就労環境のようです。
長時間労働や重労働の割に低賃金などという話ももちろんありましたが、なにより心が折れるのは利用者からの暴言・暴力なのだそうです。
痴呆が進んでいる利用者であれば意思疎通を図ることも難しく、ある事ない事を言われたり、時には泥棒扱いされたり、排泄の介助をしている時に蹴られたりなどはそう珍しいことではないのだそう。
老人とは言えども、身体がある程度大きいため力もそれなりに強く、抵抗されれば大人1人で押さえ込むことも難しくなります。
また、それも度が過ぎれば「虐待」「折檻」などと利用者家族からクレームを言われ、介護職員としては利用者からされるがままの状況というのもあるようです。
私が危惧しているのは、このような職員と利用者の関係が続いてしまえば、今回の相模原の事件の犯人のように障害者などの弱者に対して間違った偏見を持ってしまう人が増えてしまうのではないかということです。
次男の場合もそうですが、親でも手を焼くほどの特徴(次男の場合は癇癪やこだわり)を持った障害者を他人が支援しようとする場合、相当の覚悟と理解がないととても務まらないと思います。
以前、療育園の相談員さんとお話した時に言われたのが、「(療育園の)先生方は、皆さん子供が本当に大好きだからあそこで仕事をしているんです」とおっしゃっていた意味が、今回の事件で私にもはっきりと理解でき、同時に職員の方への感謝の思いでいっぱいになりました。
優生思想の怖さ
「障害者なんていなくなれば良いと思った」という考えは非常に危険だと私は思います。
同じ人間同士が、個人の見解でそこに優劣をつけるのは、社会の崩壊につながるからです。
例えば、今回の相模原の犯人のように、社会的弱者である障害者を彼の優生思想で排除したとします。
これで世の中が差別のない平和な世界になると思いますか?
ならないんですよ。人間というのは人と差をつけたがる生き物なのです。
障害者が世の中から居なくなれば、今度は彼らに変わる弱者をさらに見つけ出し排除しようとするはずです。
自分とは違う、考え方が違う、文化が違う、肌の色が違う…など何かしら違いを見つけ出し、同じ思想の持ち主同士が集って、少数派が追いやられてしまうのです。
この最たるものが「戦争」ではないですか?
大事なのは誰かを必要ない存在だと思うことではない。多様性を認め合うことなのです。
人間は誰でも年をとり、いつかはこの世の中から消えてしまう存在です。
生まれた時の環境は人それぞれ違えど、最終到達地点はみな同じなのです。
その最後に向かうまでに、自分が社会的弱者になる可能性だって十分にある。その時、この犯人は自ら自分が必要のない存在であると公言するのでしょうか。
障害者もそれぞれ与えられた運命の中精一杯生きているのであって、その命の重さは他人に決められるものではないはずです。
「綺麗事」と言われるかもしれませんが、弱者を守れない社会は必ず衰退すると私は感じています。
税金の話だけで言うと、日本はもーっと削れる部分があるでしょうに。お役所のみなさん。
障害者施設での就職を考えている人に持っておいてもらいたい心構えとは
ただ、このような相模原の犯人のような極端な思想というのが、施設の勤務経験から培われたものであったとしたら、それはとても悲しいことです。
「仕事、きついし大変なのに給料安くてやってられない…」
「なんで俺が毎日障害者にこんな事されなくちゃいけないんだよ…」
「ここまでひどい労働環境だとは思わなかった」
など、就労環境への不満が障害者への憎しみへと変わっていくのだとしたら、それは施設を取り巻く環境に問題があるとも言えます。
なので、障害者施設や介護施設で働きたいと思っている方は、その働きたい目的を明確にしてください。
そして、施設の現状を自分の目で見てしっかり把握してください。
「私には無理そう」と感じたら、ぜひ別の職種を探してください。
もちろん労働環境の改善や給与水準の向上など国の政策面に頑張ってもらいたいところもありますが、それでも障害者施設や介護施設の仕事がハードなのは変わらないと思います。
利用者に理不尽な言動をされても職務を全うする自信はありますか?
他人の汚物を平然と処理できますか?
障害者施設や介護施設は、まさに3K(きつい・汚い・危険)の職場です。
「求人多いし、雇ってもらえそう」という安易な発想で就労してしまうと、今回の事件のような悲劇は繰り返されてしまうと思います。
私も障害者を抱える家族の立場として、このような施設があることは本当にありがたく思っています。
我が子を親身になって支援してくれている療育園の職員の方々には、感謝の言葉しかでてきません。
障害があろうがなかろうが、次男は(長男もですが)我が家にとっては宝のような存在です。
そんな次男や私たち家族を支えてくれる人たちがいるというだけで、次男の将来に希望が持てますし、彼の自立に向けて私も頑張ろうと思えるのです。
障害者施設や介護施設で現在働いている方々。あなた達に感謝している人は、きっとあなた達が思っている以上にたくさんいます。
そして、障害者や要介護者を抱える家族の方々。身内のことで恥じることなどなにもありません。いろいろな人がいろいろな暮らし方をしているのが社会というものです。
「個々を認め合える社会」
口で言うほど簡単なことではないでしょうが、心の中では私は常にこの意識を持っていたいと今回の事件をきっかけに、より一層その思いが強くなりました。
福岡市在住。年の差3兄弟を育てています。
次男が知的境界域の自閉症スペクトラム(ASD)です。
発達障害のこと、子育てのこと、趣味のビュッフェ巡りや旅行について書いています。
社会福祉士です。
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