我が家の次男は現在4歳。
発達障害があり、「自閉症スペクトラム」の診断を受けています。
これまでは2歳までの次男の成長についてまとめてきましたが、今回は2~3歳の頃の様子についてお話していこうと思います。
次男の発達障害(自閉症スペクトラム)が判明するまで【1】:0~1歳までの成長記録まとめ
次男の発達障害(自閉症スペクトラム)が判明するまで【2】:1~2歳までの成長記録まとめ
この時期は公的機関での診断を受けたり、療育手帳の取得など私も次男のために積極的にうごき始めた時でもあります。
当の本人はというと、相変わらず癇癪を起こして大暴れしていた時期でもありますが、徐々に「内と外」の違いについて彼自身も分かり始めた時でした。
そのような内容について詳しくお話していきます。
2歳1ヶ月~2歳6ヶ月:落ち着きも見られ始めた時期
■イヤイヤ期の到来か(2歳1ヶ月)
「こだわり」と「癇癪」を特徴として持っている次男にとっては年中イヤイヤ期のようなものですが、この時期から次第にこちらの言うことを聞かなくなってきます。
これまでも次男と意思疎通がはかれず、何について怒っているのかなど理解できない場面も多かったのですが、2歳1ヶ月くらいの時から明らかにこちらの意思が伝わっていないというよりかは「故意に無視している」というような態度を取る時も出てくるようになりました。
これは逆に言えばこちらの言っている事を理解できている証拠でもあるので、イヤイヤ期ではあったものの、次男と少しずつ意思疎通が出来始めている喜びを感じていました。
■動物が大好き(2歳1ヶ月)
人にはあまり興味がない次男でしたが、この頃は動物が非常に好きでした。
種類は問わず、どのような動物でも進んで接触しようとするため、次男と外出中に散歩されている大型犬などに出くわすとこちらがヒヤヒヤしたものです。
動物園などでも大きなアルパカなどに餌をやるのも怖がらず大喜び。
これまで興味の対象が主に「物」だった次男のこの様子に、ちょっとホッとした覚えがあります。
■外出先で暴れてひっくり返るのは継続中(2歳2ヶ月)
1歳代から続いている癇癪ですが、この頃も安定の継続中でした。
突然「うわー!」と騒ぎ出し、道端だろうがモールだろうがバックドロップのように後頭部からひっくり返って大暴れします。
そのため、私は次男が後頭部を強打しないように、癇癪を起こし始めた時は常に背後に回ってクッション代わりをしていました。
間に合わない時も多かったので、これまで次男は相当頭は打ってきています。
発達障害児の特徴に「自傷行為」というのがありますが(癇癪時に自分で頭を叩いたりなど)、次男の場合はひっくり返ることでした。
ただ、これは幼稚園入園を境に少しずつ収まっていきます。
■発語は「アウアウ」のみ(2歳3ヶ月)
2歳前に一度だけ「ねんね」という奇跡の発語はありましたが、その後次男はずっと「アウアウ」などの喃語ばかりを喋っていました。
ほとんどの言葉がこれなのですが、指差しなどのおかげで私には次男の言わんとしている事が分かっていました。
また、次男はクレーン現象(言葉ではなく、近くの人を対象物のところまで引っ張って行って思いを伝えようとする行動)もあったので、それで理解できていた部分もあります。
クレーン現象は1~2歳児だと定型発達児にも見られる行動なので、これだけで発達障害の有無は確認できないのですが、次男はたしかに頻度は多かったような気がします。
そしてこのクレーン現象は今でも継続中です。(多少は減りましたが)
私はこの時期、次男の発語状態に不安を抱いていたため、言葉を教えようと無理やり「み・か・ん」などと現物を見せながら働きかけたりもしていたのですが、次男は「ア・ウ・ア」と私の後については言えるものの「アとウ」以外の発音ができませんでした。
■ウェルパルくまもとへ発達相談に行く(2歳3ヶ月)
当時、我が家は熊本市に住んでいました。
次男の言葉の遅れが気になって仕方が無かった私は、ウェルパルくまもとの中にある発達障がい者支援センターに次男の発達相談に行きました。
ここで次男は初めての発達検査をします。
その時に医師から言われたことは…
「言葉が遅い以外には特に問題がないと思われます」
と予想外の診断結果でした。
目線も合うし、遊んでいる様子を見ていても言葉以外の形で私やスタッフの人に関わりを持とうとしているというのが理由でした。
癇癪がひどいのは、言葉で思いを上手に表現できないストレスだと言われ、この時は「言葉がもう少し上達すれば、癇癪も次第におさまるのかな」くらいにぼんやり考えていました。
■少し落ち着いて行動できる日も増えてきた(2歳4ヶ月)
正直、私はこの記憶にかんしてはすっかり抜けおちていたのですが(笑)、この頃から少しずつ次男に落ち着きがみられるようになっていきます。(日記をつけてて良かった)
たとえば、これまで美容院などでもひとりで座って髪を切ってもらうなど不可能で、車に乗ろうがDVD見せてもらおうが少しもじっとしていられませんでした。
が、この頃からひとりで座って髪を切ってもらえるように。
少し周りの状況を見れるようになってきたのかなと思っていました。
ただ、やはり激しい癇癪というのはこの頃もずっと続いていました。
■私立幼稚園の未就園児クラスに入園する(2歳5ヶ月)
ウェルパルでの「次男君のようなお子さんは、早い段階から集団生活に慣れさせておくとよいですよ」というアドバイスのもと、次男は2歳5ヶ月で私立幼稚園の未就園児クラスに入園しました。
通常未就園児クラスというと、週1回の登園だったり、午前保育のみだったりと通常の幼稚園のカリキュラムと異なる事が多いのですが、次男が通った幼稚園は未就園児クラスも年長・年中・年少と同様の週5の全日保育で行われている幼稚園でした。
(あえてそのような幼稚園を選びました)
通園バスも使用でき、当時年長で公立幼稚園に通っていた長男よりも帰ってくるのが遅いくらい、がっつり通園していました。
(次男と長男は当時別々の幼稚園に通っていました)
幼稚園は私立?公立?転勤でどちらも経験した私が両者を詳しく語ります。
入園式の時など、次男は一人落ち着きがなく、ウロウロしたり、ステージに乱入しようとして先生に阻止されたりとやりたい放題でしたが、この幼稚園入園を機にこんな次男の様子が少しずつ変化していきます。
母子分離の心配をしていましたが、バス通園も3~4日で慣れてしまいました。
私自身もこの頃から日中ひとりでホッと一息つける時間が持てるようになり、随分ラクになった時期でもあります。
■発語「速い」と言う(2歳5ヶ月)
「ねんね」に続いての発語でしたが、これもこの時限りの限定品でした。
ミニカーを走らせていて出た言葉です。
発語があっても、それが定着しないというのが次男の特徴でした。
■ジェスチャーがでるように(2歳6ヶ月)
この頃から次男は「おいでおいで」などのジェスチャーをするようになりました。
そのおかげでクレーン現象がちょっとずつ減っていった時期でもあります。
■幼稚園で椅子に座って話が聞けるようになる(2歳6ヶ月)
幼稚園に通いだして1ヶ月ほどで、次男は椅子に座って先生のお話が聞けるようになっていました。
通園バスを待っている間も、それまではじっと待てずにあっちウロウロ…という感じでしたが、この時くらいから「バスが今から来る」ということを認識できるようになったようで、落ち着いて待っている様子がみられるようになってきました。
当時、幼稚園の先生には次男の特徴を伝えていたので、毎日連絡帳でその日の様子を知らせてくれていたのですが、先生からの「今日はこんなことができました!」というような報告を読むたびに信じられないような嬉しい気持ちになっていました。
でも癇癪はまだまだ続いていて、幼稚園でも後頭部からひっくり返ろうとするのだけど、そうすると自分が痛いということを経験から学んだ次男は、ゆっくり倒れるという技を身につけたりと(笑)、少しずつ癇癪の表し方も変わっていった時でもあります。
2歳7ヶ月~3歳:療育手帳取得へ
■エジソン箸が使えるように(2歳8ヶ月)
ずっとスプーン率高めのエジソン箸使用だった次男ですが、この時くらいからエジソン箸中心の食事をするようになりました。
ただ、お箸だけはどうしても持ちたがらないので、以前も書きましたが次男は4歳の現在もエジソン箸を使っています。
■家と外の区別がつくように(2歳8ヶ月)
幼稚園に通いだしてから、次男に家と外を区別しているような様子がみられるようになりました。
それまではどこに行っても家と同じように癇癪を起こして暴れていたのが、幼稚園ではめったに癇癪を出さないようになります。
これは今通っている幼稚園の先生からも言われていることで、次男は幼稚園では癇癪を起こして大暴れするような事はほぼ無いそうです。
療育のスタッフにこのような話をすると「お母さんを甘えられる存在だと認めている」とのことで、これは定型発達児にも見られる行動なんだそう。
家では暴れて嫌がることでも、幼稚園の先生からだとすんなり受け入れているようで、このように家と外の区別がつくようになったのも幼稚園に通いだしたおかげだと感じています。
■2回目のウェルパルくまもとの発達検査へ(2歳8ヶ月)
前回の検査から定期的に通っていたウェルパルくまもとの発達障がい者支援センターにて、2回目の発達検査を受けました。
結果、次男の言語レベルは1歳代とのこと。
この頃から私の中で次男に療育を受けさせたいという思いが強くなります。
■よその子を叩くように(2歳10ヶ月)
幼稚園に通いだして良い傾向が見られだした反面、次男はやはり家族といる時は相変わらず激しい癇癪を起こして大暴れしていました。
そして、この時に最も困っていたのが、次男の叩き癖。
モールや公園などで見かけた子を見境なしに叩いていたので、非常に悩んでいました。
ベビーカーに乗っているような新生児の赤ちゃんであっても、わざわざ顔を覗き込んで顔面を叩いたりしていたので、そのような時は猛烈に次男を叱った記憶があります。
そうすると、次男はそのことで泣き喚いて癇癪を起こすので、この時は次男を連れてのお出かけがイヤでたまりませんでした。
今思えば、幼稚園に通うという次男にとっての環境の変化がストレスとなって「叩く」という行動に出ていたような気もしますが、これもしばらくは続きました。
■療育手帳の取得をすすめられる(2歳11ヶ月)
通っていたウェルパルくまもとから次男の療育手帳の取得をすすめられたのが3歳になる前でした。
言葉を含めた全体の発達状態というのが1歳2ヶ月程度とのことで、この時は「軽度知的障害」と診断されていました。
この時の次男の知能指数は50台で、ギリギリ軽度だと診断されました。
療育機関へ通うことを前提に療育手帳を取得しておいた方が良いというのが、手帳取得を勧められた理由でした。
この時の相談員さんのものすごく気を使った話し方が印象的で、これは後で知ったのですが、このように子供の障害などを親御さんに話すと、中には「うちの子を障害者にするのか!」と逆上する方もいるのだそう。
私は次男にとってより良い環境を選べるのであれば、手帳や診断名などにこだわらないタイプでしたので、その後早速療育に向けての段取りを進める手続きを始めました。
■療育手帳はB2(軽度)で取得(3歳)
療育手帳の交付は非常にスムーズでした。
1ヶ月そこらで手元に届いたのですが、その後の療育を受けるまでの道のりが非常に大変でした。
熊本市には療育に関しての公的機関が当時はなく、その全てが民間のデイサービスという形でしか受けることはできませんでした。
それ故、療育機関への見学や、次男の事業計画案を作るためにまた別の事業者と打ち合わせをしたりとすべきことが多く大変でした。
そしてとにかく時間がかかりすぎる!
計画案を作ってもらう事業者もウェルパルくまもとが用意してくれていた事業者一覧の中から自分で選んで連絡を取らなければならず、計画案をお願いしても断られる日々。
「希望者が多すぎてこれ以上できない」という理由だったのですが、やっと探し当てたある事業者が受け入れてくれたものの、計画案を作成するまでに3ヶ月ほどかかる始末。
やっと療育に通えた頃には、我が家はまさかの転勤になってしまいました。
(これも後日詳細を書きます)
早期教育が効果的と言われている療育において、それを始めるまでの手続きに時間がかかってしまうのいうのは、親としては非常に改善してもらいたいところ。
こんなグダグダな感じで次男の療育はスタートしていきます。
■幼稚園でうんち・おしっこができるように
次男の排泄の件については過去にトイレトレーニングの記事でも書きましたが、幼稚園に通いだしたはじめのうちはまだオムツをつけている段階でした。
発達障害児のオムツはずしは特に大変!3歳半でとれた我が家のトレーニング法をご紹介します。
これが3歳の時に、幼稚園での初のうんちが成功します。
幼稚園での皆でトイレに行くという習慣が功を奏したのか、その後ゆっくりではありますが、家でもトイレができるようになっていきました。
今回も予想通りの長文になってしまいましたが、2歳代というのは最初にもお話したように、癇癪大暴れ一辺倒だった次男に少しずつ変化の兆しが見え始めた時期です。
このような次男の成長がみられたのも、早くから幼稚園という集団生活に慣れさせたおかげではないかと今では思っています。
ただ、この集団生活というのも子供自身の性格や気質によるところも大きいと思われるので、お子さんに御心配な点がある方は、まずはお住まいの自治体の相談窓口へお問い合わせされることをおすすめします。
次回はいよいよ3歳から今現在までの成長記録についてまとめていきます。
福岡市在住。年の差3兄弟を育てています。
次男が知的境界域の自閉症スペクトラム(ASD)です。
発達障害のこと、子育てのこと、趣味のビュッフェ巡りや旅行について書いています。
社会福祉士です。
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