Bike Time with Mom / donnieray
先日、何気なくテレビを観ていた時のこと。
毒母についての話題が取り上げられておりました。
私の母も毒親だったという話は以前書きましたが、それに気づけたのも私自身が家庭を持ってから。
それも母の急死という形で母からの過干渉から逃れられたという経緯があるので、番組内での私と同年代の女性が毒母との関係に悩んでいる様子はとても他人事とは思えませんでした。
そんな娘にとって毒となってしまう母親の深層心理を改めて考えてみた時に、私は母からの娘にたいするある一つの感情が原因なのではないかと、思い当たる節が自分自身の経験の中にも見えて来ました。
それは娘にたいする「嫉妬心」です。
毒母チェックリスト10項目
それに気付いたきっかけとなった、「毒母チェックリストの10項目」をご紹介します。
①言うことに疑問・同意しないことは許さない
②過剰な期待をかけプレッシャーをかける
③望み通りになるように指図してばかり
④学校・仕事・恋人を選ぶ時に介入する
⑤親子の縁を切るといって脅したことがある
⑥「バカ」「醜い」などののしったことがある
⑦いつも自分が中心でいたい
⑧「正しい」「正しくない」と決めつける
⑨自分の誤りを認めようとしない
⑩批判されることに敏感
この中で⑤のような対応だけは母から受けたことはないのですが、それ以外は程度の差こそあれ全て母に当てはまります。
このチェックリストを見ていくと、その裏側には娘にたいする嫉妬心が見て取れます。
「娘が自分より上の立場になるのが許せない」
そういう思いが、束縛や過干渉としていろいろな形となり現れているような気がします。
ママ友の話題でも書きましたが、女は同性に嫉妬する生き物です。
ママ友との生活格差に嫉妬する人の特徴と円滑なお付き合いができるための心構えとは。
毒母とのトラブルを抱えている子供の多くは娘なんだそう。
娘を我が子としてではなく、「女」という自分と同じ土俵に立たせて評価をしてしまうことで、母親は娘にたいして嫉妬心を抱くようになるのでしょう。
私の母も過干渉・自分中心を好むタイプでしたが、今でも覚えている「これも母から私への嫉妬心による行動だったのかな」と思い当たる経験を2つお話したいと思います。
母からの嫉妬を感じた体験その1
Little Feet / radarsmum67
私が小学校~高校生くらいまでの学生時代の頃、母は私がおしゃれをするのをとても嫌っていました。
女性なら誰しも経験があるかと思いますが、小学生の頃だったら「マニキュア」といって爪にマジック塗ってみたり、親の化粧品をこっそり使ってみたり。
中学生になると、ボサ眉を細くしてみたり、手足のムダ毛なども気になってくる年頃です。
高校生になると行動範囲も広くなり、友達と遊ぶ時はもっぱらショッピングで、貯めたお小遣いで流行りの洋服を買ってみたり。
今思い返せば、自分は年齢相応の成長をしてきたと感じているのですが、そんな私の様子をみて母は…
「ダテばかりして」
「色気づいて」
「誰にみせるんだ」
などと、ことごとく私を言葉でこき下ろしていました。
女の子が自分の外見に興味を持つというのは、自然の成長過程であり私は普通のことだと思うのですが、母は違いました。
今でこそこのように思えますが、過去の私はそういう母に逆らえないところがあったので、次第に「外見を気にする事は良くない事なんだ」と思うようになっていき、自分への自信を失っていきました。
そうこうする内に私はますます内向的な性格になっていったのですが、それに反して(これは自慢でもなんでもないのですが)私は周囲の大人から「将来美人になるなー」などと外見を褒められることが多かったのです。
そうすると、母は親戚などが集まる場でも、いつも私に恥をかかせるようなエピソードを皆の前で話していました。
人前で子供を叱り恥をかかせる親の心理とそれが与える悪影響について考えてみました。
今で言う「オチ」のような存在として私は使われていたのですが、そんなの芸人でもない私としてはまったくおいしい思いをすることもなく。
子供の頃はよく私の話を聞いてくれる母を信頼して話していたような話も、尾ひれ背びれをつけて第三者に暴露され、その度に私は精神的に苦しい思いをしていました。
こんな母のおかげで子供の頃の私のイメージというのはすっかり母によって定着させられ、今でも親戚などからは「おひとりちゃんって子供の頃は人見知りだったよね」などと言われることがあります。
人見知りではなく、人前に出たくないような環境だったんだけどな…と、そう言われる度に心の中で呟いています。
母からの嫉妬を感じた体験その2
20100101 New year’s celebrating foods 2 (Spring roll) / bonguri
こんな子供時代を過ごしていた私ですが、大学生になって一人暮らしをするようになり、それ以降ずっと実家からは離れた生活をしていました。
ですが、実家が米農家で年に2回(田植えと稲刈り)は手伝いに行っていました。
私はお昼ご飯を作る担当だったのですが、その時に初めて春巻きを作って出したのです。
すると母は「あんたもこんな料理を作れるようになったのね」と言ったのですが、母は私が作った春巻きに一切手を付けませんでした。
父は美味しいと食べていてくれた覚えがあるのですが、母としては娘が周囲から評価されるのが面白くなかったのでしょう。
そのせいなのか、私は母から料理などを教わったことがないですし、パン作りなどもできる料理好きの母でしたが、私もパンを作ってみたいと言っても教えてくれることはありませんでした。
料理だけでなく、母からは生活の様々な基本的なことを教えてもらっていなかったのだと、私は結婚して主人の実家にお邪魔するようになってから気づきました。
過干渉な母がなにかと私の世話を焼いていたのも、今思えば自分の優位性を保ちたいという一面の現れではないかと感じています。
母からの嫉妬を確信できた母の一言
Diamonds ARE a girls best friend / robynlou8
それは結婚前の衣装合わせの時でした。
衣装選びをしている中、別室で母と主人が待機していたのですが、その時に母が主人に「娘とは友達のような関係」だと話したそうです。
私はこの話を後に聞いて、やはり母は私に嫉妬していたのだと確信しました。
母は非常に友人関係の少ない人でした。
高校からの友人が2人いただけなのですが、友人の数はまあ良いとして、母はそんな友人の中でもなにかと引き合いをだしマウンティングをしていました。
1人完全に母にとって格下だと思っている友人がいたようで、母は何かに付けその友人の事を「子供の躾もできない」「お金の計算もできない」などと子供の私に話していました。
(私もある意味、全然躾けられてはいなかったのですけどね 笑)
こんな事を我が子に言うのもどうかと思うのですが、母という人はそもそもの友人関係が対等な中に成り立っていなかったので、娘である私を友人と同じような感覚でみていた母にとって私は嫉妬の対象になり得たのだと思います。
娘に嫉妬する母親の深層心理として考えられる事
娘に嫉妬する母親の心理としてはいろいろ考えられますが、大きい括りで考えると「母親自身が精神的に満たされていない」ということが挙げられると思います。
「夫に相手にしてもらえない」
「友人・知人の生活が羨ましい」
「経済的な理由などで生活が苦しい」
などなど、家庭の事情により娘への嫉妬心の原因はさまざまかと思います。
思い当たる理由として、母の場合は友人も少なく、世界の中心が自分の家族だけのような生活をしていた母にとって、私が成長するにつれどんどん外の世界へ出て行くことが嫉妬の対象になったような気がします。
「このままでは将来自分は置いていかれてしまうのではないか…」という思いが娘である私への過干渉へと繋がり、私が何かに興味を持ったり充実していたりすると嫉妬の目を向けていたのでしょう。
また、母の場合はその母(私の祖母)が相当な毒母なので、その影響もあるのかもしれません。
「毒親育ちが毒親になる」と気づかせてくれた毒祖母とのお正月エピソード
こう考えると、「私も息子たちにとって毒母になってしまうのだろうか…」と考える事はありますが、なぜかそれは大丈夫だという自信もあります。
それは、私が息子達の幸せしか願っていないからです。
「自分の足で自分の思うように生きていって欲しい」と子供達には常々思っている私としては、子供達が本当に困った時にだけすかさず助けてあげられるような存在になれたらと思っています。
生き抜く力を育てたい!子供のメンタルを強くする5つの接し方について考えてみました。
とは言いつつ、毒母と思うかどうかは子供自身が決めることでもあるので、不安がまったくないわけでもないのですけどね…。
毒母とは距離を置くことが最善策
Colours / camdiluv
このように毒母は子供の人格を破壊するような関わり方をしてくるため、なるべく距離を置くということが最善策になってきます。
「実家を出る」「住む場所を教えない」など物質的な距離をとることも大切ですが、「毒母に依存しない」という精神的な距離をとる必要もあります。
毒母に育てられた子供というのは、長年の過干渉が体に染み付いている部分があり、子供自体も毒母に知らず知らず依存してしまっていることがあります。
現に私もそうでした。
母の過干渉がうっとおしいと感じながらも、「何か困ったことがあれば母を頼ればいいや」という考えも常に頭の片隅にありました。
母が健在だった頃の私は自分の考えで行動するという習慣がほぼなかったので、過去いろいろ嫌な思いを母にさせられていたにも関わらず、何かあれば母に相談していた記憶があります。
こうなるともはや共依存のような関係が成り立ってしまっており、お互いにその関係を壊すことが難しくなるのです。
私の場合は母の病死ということである日突然その関係性が崩れましたが、そのおかげで今いろいろと自分を見つめ直す機会を持てています。
内向的だった性格もずいぶん変わってきたと自負しています。
毒母との関係に悩んでいる方は、まずは毒母と離れる事を考えてみてください。
あなたの人生はあなた自身のものなのです。
自分で考え自分で選んで歩んでいくべきものなのです。
「自分は今どうしたいのか」を最優先に考えることが、毒母との関係を変える大きなきっかけとなります。
毒母の性格を変えようとするのは無理です。変われるのは自分自身だけ。
自分の人生、自分の思うように生きないともったいないですよ。
福岡市在住。年の差3兄弟を育てています。
次男が知的境界域の自閉症スペクトラム(ASD)です。
発達障害のこと、子育てのこと、趣味のビュッフェ巡りや旅行について書いています。
社会福祉士です。
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